Hocuspocusさんのbloghttp://d.hatena.ne.jp/Hocuspocus/20050125を読んでそう言やアレという訳で、己が書き散らかした駄文を一部引用してみつつ。 Hocuspocusさんがその本を読んで不満に感じていることと、私のフラストレーションがどう関係あるのか、なんて知ったこっちゃないにしても、現実にかぶっている部分、せっかくだからエントリーしてみる。ということで、名前出てくるけどドゥルーズはあんまし関係ない。むしろ今『動物化するポストモダン』とかとセットで読んでみたら面白いかも知れない新書などを題材に。


>−−−真の解、正しい解は、とても見付かりそうにない。私たちは問題を立てても解けない。私たちは、解けない問題を立てることができるが、解くことはできないのである。この場合、どう進むか。驚くべきことに、思い迷って足が止まるどころか、何の気なしに事態は進行する。解き難い問題、解けない問題に対して、あたかも解を出したかのように、ES細胞をめぐって何らかの実践が組織され始めるのである。1)

1)小泉義之ドゥルーズの哲学〜生命・自然・未来のために』講談社現代新書,2000 P.51
ES細胞=人間の胚性幹細胞。かねてより微分方程式をめぐり抽象的な数学言語で語られてきたらしいこの問題は、今日、細胞レベルでの具体的な事態の発生として確認できるそうである。近年の分子生物学の進歩がドゥルーズの先見性を証明することとなった、或いは、分子生物学の進歩によって、ようやく時代がドゥルーズに追いついたという認識は、ドゥルーズ哲学への21世紀的アプローチの土台として重要に思える。
 それにしても、解けない問題をめぐる実践の組織とは、何という難題だろう!


 ええ加減な文章やな。それは良いとして、難題も糞も、意識的に制御できる問題ではない点、とりあえずご承知願。心臓の活動プランは副交感神経にまかせとくに限る、ぐらいの意味で。
 で、何が重要か? 著者の真意は別として、結果的に思想よりも現実の方が速いんだぜと言い切っちゃったこと(じゃ、何の為の思想やねん。ぐらいは内心即座に返しておきたい)。
 更に補足するなら、もし我々が、生半可でトレンディな分子生物学用語の曲解誤用など(※つまり全ての類似行為)という、自身にとってイマイチ現実感のない現実を土台として<思想>にアプローチすること自体(つまりリアリティを指向しないということ)が目的になるとすれば、結果は素晴らしい本末転倒に帰結するしかないということ。学習の為の学習とか、趣味の無限ループ。何のかんの言ったって、これを良しとするかどうかはもう各自の自由課題でしかない。オタク文化らん熟期の今、私にもそのへんは流石に分かってきた。だから、何と言うか、死ぬまでひたすら回り続けたい方にお勧めです。そういったプロセスを経て、例えばポストモダン的思想玩具としてのドゥルーズなんかも急速に一般化するのかも知れない。KIOSKで買えるぐらいに。そして、KIOSKという現実の<場>で必ず起きるリアルのせめぎ合い!・・・イノセントの否定的側面が露わになる(なかなかビジネスモデルが構築できないバイオとか今ちょーどそんな感じ?)。オタク的方法論がオタク性を破壊する。そして思想は、再び光と同じぐらいのとこまで速度を上げる・・・。そんなことは、今のところ起こってませんね。今あなたが「乗りたい!」思想って、ありますぅ?

 自分の場合、現実感のない現実は、とりあえず現実と区別するようにしているし、 先端テクノロジーだって、自分にとって単に先端でしかないうちは現実ではない。でも、圧倒的なスピードとか軽やかなイメージ牽引力に対しては強烈な憧れがある訳で。まあ、誰だってそやろけどね。

 オカルト、思想、テクノロジー・・・敢えて一緒くたにしとくけど、いずれもTwo Edgged Swordな対象であることだけは間違いないと思う。そうでないものは面白くないから帰っていいよ。


 そんなこんなで表題が私の欲望の対象。


【今日のnews】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050126-00000071-mai-int
ES細胞も凄いがチビタベッキアのマリア様も凄い。胎内のどっかにスターゲイトがあるはずだ。