アストラル文学試論(1)

(2)の予定は特にないけど。果たしてブンガク趣味は本代が高くついて仕方ないものか? な〜に初版本コレクターとかを除けばたいしたことないでしょう。本人の感覚と同居人の感覚に若干の差異が見られる可能性は否めないにしても。文庫本以外はすべて図書館を利用するという手だってある。ただし、それを徹底するなら売れ筋の新刊本とかどマイナーな現代文学とかは諦めろ。原書とか未訳の海外文学とかも。あと万引きてのもあるけどここではいちおー想定外だ。よし、それでいい。ノープロブレムだ。アウトレットでブランドものの服を買うような中途半端なお洒落さんは認めない? まあまあ。そんじゃ、ブンコで買えるブンガクの話。

すべての実践の前提が空間認識だとすれば、そこで実際に行われる個々の営為は、すべて時間との戦いである、と言えるかも知れない。ちゃうちゃう銭や銭。とか言うアンタはどこまで無粋なんよ。予算とか納期とかそーゆー話やなしに。そーい言やスローライフなんかも、時間のない世界だとネーミングすらあり得んよね。

およそ文字の羅列として出力できるものは、すべて記憶〜長い短いの差はあるにせよ〜のエディトリアルである。ぐらい言っても大丈夫かと思う。いわゆるリアルタイムの記述ですら、目で見た光景、皮膚からキャッチした感触などなど、いったん脳にストックされた信号を逆プロセスでゲロしたものには違いない。ぐらいの意味で。
記憶の中の時間の流れは、均一に流れる相対時間つまり客観的なクロノス*1時間ではあり得ず、まあ敢えて言うならアイオン時間*2。そういった時間を内包する記憶からネタを引っ張ってきて現在・過去・未来をどーゆーふーにぶちまけるか。そこがいわゆる作風であったり方法論であったりする訳ですが、さて、全部書くとゆープルースト的方法はパスして。
いったん書いたものを切り刻んで並び替える<カット・アップ>とか、文字の書かれた(または印刷された)紙を折って最初と違うつながりを生み出す<フォールド・イン>とか、方法らしい方法を開発・実践したのはウィリアム・バロウズ。このへんの技法については、なるほどと思うのからちょっとヘンやないですかとゆーものまでいろいろな解釈・紹介がなされているが、個人的にお薦めは本人が作品の中でやってしまってるやつ。カットアップ三部作と呼ばれる作品群の一つ*3『ソフトマシーン』*4の「7.マヤの犯罪」では、冒頭から「イブニング・ニュース」のキャスターが、時間旅行の技術についての解説を「独占で」お届けしくさってくれる。内容はどー読んでもそのままバロウズ先生のアストラル文学論だ。つまり歴史を奪還する試み。このやり方だとアレです。資料はたっぷり集まったけど実践は一向に進まない…なんてことは考えにくい。魔術の話になってる? C.S.的には全部いっしょでOKやけど。そこを何とかグロスで頼んます。みたいな。
別のヒントがガルシア・マルケス(エセサイケなカバンの名前やない方)。 野次馬的に。あるいは事態を把握する必要に迫られて「何があったん?ちょっと教えてえな」展開になった…とゆー経験はどなたにもおありだろうと思う。で、そこで聞くAさんの話とBさんの話が微妙に(あるいはまったく)食い違ったりする。Aさんは目撃していたが、Bさんはそんなんあったことすら知らん。みたいな部分があったりする。これを小説でやっちゃったのが例えば『族長の秋』*5とか。
興味の対象があっちこっちめまぐるしく落ちつきなく飛びまくるガキの、一つの大切な思い出を牛のように反芻し続ける年寄りの、いろんな人間の単なる性癖を<技法>としてパクること。 書き出すとキリがないので、やっぱり(2)はあるかも知れない。気が向けば。
そんなこんなで「出口ナオてAV 女優やったん?」「それを言うなら及川奈央や」。

*1:ギリシャ神話に出てくる時間の神。クロノグラフの語源

*2:一瞬が永遠だったりしても少しもおかしくない世界の時間…てことでとりあえず。クロノス時間と対になる言葉です

*3:“ひとつ”と呼んで良いものか、真面目に考えるとちょっとだけためらわれるところ。バロウズの場合特に珍しいことでもないが、この作品には内容の異なる複数のバージョンがあるらしい

*4:

ソフトマシーン (河出文庫)

ソフトマシーン (河出文庫)

*5:

族長の秋 (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)

族長の秋 (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)