8月12日のエントリの補足

『おそらく、人様の前での儀式ritual実演あるいは公開儀式ritua/ceremonyという考え方自体に馴染めない人も多いだろう。このへんについてはいろんな意見があって当然だが、C.S.的には、閉塞した世界の中でぬるくなし崩し的に薄まり腐り果てていくよりか、魔術magickにとって遙かに良いことだと思う』

>閉塞した世界の中でぬるくなし崩し的に薄まり腐り果てていく
に関して。
濃く煮詰まることはあっても物理的に薄まりはせんだろうてことですが、拡散しながら同時に閉塞していってる感じが気色悪いんだというそれだけの話。
「ネット魔術師」という響きは 「ネカマ」という言葉に似ている。「ネカマ」は「おかま」でも「おんな」でもない。「ネット右翼」と「右翼」もやっぱり違う。私が普段リアルで身近に目にしているネカマさんは、忙しく残業しているフリをしながらパンチラ画像を修正していたりする。時代が持つ負の要素をシンボリックに人格化したとすればさもありなん。念のため断っておくと、従来型の市場の論理に従えば必然的に切り捨てられるしかなかった“ロングテイル”部分にもフラットに光が当たりはじめたこと自体は、もちろん喜ばしいことだと思っている。