カッコイイとイタイ

Hang on to yourself


それって、得てして紙一重やったりするよな、というようなことを話していた。
「で、ぎりぎりイタイと判断してボク(友人から誘われた某ギャング団に)入らんかったんです」
と、学生時代のエピソードを話しながらMくんは笑った。
いい歳して自分も似たようなことやってるよ。似てない!とか、どこが?とか素朴に思ってしまう人がいることは承知だがそーゆー人はとりあえず関係ないので、関係ないことをご理解いただければと願う。関係性は見えているつもりだから心配は無用だ。

…で、この既視感は何かと考えれば、何ヶ月か前に書いた『ワンゲルは歴史上最初の10代による運動体、つまりカウンターカルチャーのルーツとして見ることができそうみたいよetc.』というエントリ。
http://d.hatena.ne.jp/FraterCS/20060217
19世紀しかも欧州の話だ。ひとつのコンセプトとゆーかキーワードとして<ピュア>という方向性があった。カントの純粋なんとかもこの流れの中に位置づけられるということだが、ともかく多くの人がみんなピュアなものを求めて熱く行動し、各方面でいろんな成果が生まれた一方、どんどんイタイとゆーか困った流れが生じていった。例えば、<純粋絵画>は何も描かないのがいちばんピュアであるというコンセプトのないコンセプチュアルアートみたいなところに行き着きあっさり死んだ*1。極端な純血主義はナチスに直結した。このあたりを今の日本と重ねて何が見えるかということ。そろそろもーいいよという気もするガラスカーテンウォールのビルヂングとか、100% Pure New Zealandキャンペーン(日本ちがうけど)とか、それらしい流れの例は枚挙にいとまがない。
で、重ね合わせて何を見るのか? <嫌韓>なんかわかりやす過ぎて微笑ましいが、起こっている現象の説明用じゃあつまらない。まあ、それが有効な場面はあるんですけどね。
まずは、前提として、わかりやす過ぎるアホな逸れ方をしないこと。それから、性急に終わらせようとしないこと*2。一歩踏み出した途端にやることがなくなってしまいました、みたいなことにならない為にも。きょうは取り敢えずそれぐらい。


Love is not loving

*1:ジョン・ケージ氏−もちろん、禅の哲学が入っているとゆーこともある−との違いは、Hocuspocusさんからいただいたコメントにあるように<関係性へのまなざし>あるいはその共有ということでまず間違いない

*2:むしろ、エンエン「次どーすんの?」を続けていく。以外に権利などあらぬ。とか言うて