視覚偏重文化のルーツについて

 最初に本駄文は男の立場から書かれたものであることをお断りしつつ、一般論として、戦争はいろんな文化を破壊し*1、一部の特定産業を育てる。
 日本の場合、遊郭の伝統が破壊されたのは、たぶんそのへんの事情によるところが大きく、結果としてネーミングからしてそこはかとなく優雅だった花柳界は、闇のマーケットと化した*2。その後、戦後になって徐々に解禁が進み、業態・サービス内容は多様化の一途をたどることになるが、基本的に性風俗産業とそのマーケットという、経済用語だけで軽く説明できてしまえるほど薄っぺらなものであることに変わりはないと思われる。SEXは、それ自体はもとより、そこを基点に無限の広がりを見せる森羅万象を楽しむための入口でも、目的に応じて自ら積極的に有効活用できるエネルギー*3でもなく、単純に、さっさと処理してしまうべき難儀なもの、あるいは政治的に利用できる便利なツボのようなものとなり果てたまま *4、日本は去勢された敗戦国そのままの歪な繁栄モドキを謳歌している。


 日本におけるストリップティーズは、もちろん戦後の産物だが、その元祖は昭和22年(1947)にはじまった「額縁ショー」であるという。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E9%A1%8D&dtype=0&stype=0&dname=0na&pagenum=21&index=03801003080400
 フレーム内でポーズをとる女性の裸体を「鑑賞」するという、笑うほどにささやかなスケベ演芸。名画を模すことで、興行主と観客の双方にとって、自らを含むいろんな方面への言い訳が成立したのだろう。
 私が注目したいのは、この時点で既に、3次元女性の「2次元」化*5が行われていたということ。そして、それが当時の日本人にとって、一種の禊(みそぎ)として機能していたということ。これをもって、その後のオタクカルチャーに顕著に表れた「視覚偏重」および「自己閉塞化」傾向の源流と見るのは多少飛躍が過ぎるだろうか? しかしながら、「2次元化」は視覚のみに頼ったアプローチを可能にし、「禊」には興味にまかせた放逸な行動=五感の開放を自粛させる面がある筈である。
 海の向こうでモダンジャズ革命が起こっていた頃、日本はそんな状況だった。



 前々回のエントリをご覧いただいた方は、あるいは私が、この状況を何とかするためには「ボディタッチ」こそがキーであると考えているように思われたかも知れない。基本的には、そういうことだろう。ただし、闇雲に接触を濃密化するのでは、単に即物的な次元で終わってしまい逆効果である。それだと、「マッサージ」は「筋肉の問題」に、「整体」は「骨の問題」に帰され、五感の目覚めを起点とする一切の広がりは乱暴にシャットアウトされてしまう可能性が高い。おねーさんのボディタッチが「射精を促すだけのもの」である限り、既成のフーゾクには何ら期待できない所以である。
 で、大方の予想通り、私が注目するのは、オタクカルチャーの土壌から生まれたグレーゾーン風俗、中でも「耳かき店」である。そこで行われる「膝枕」「耳かき」「耳ツボマッサージ」「肩揉み」などのボディタッチは、明らかに即物的接触だけに終わらず、豊な「広がり」の可能性を内包している。



 そして、次の段階では最早ボディタッチすら不要になるだろう。ドン・ファンの教えではないが、目の負担を軽くしてやるためには聴覚を刺激してやらにゃならん*6。たとえば、浴衣のおねーさんが、添い寝*7するなどして本を読んでくれる「朗読庵」なんてどうだろう? 妙な癒し系のBGMは不要。ぜひ、風鈴の音が欲しい*8。耳クソを一掃したキレイな耳をセンサに、こころゆくまでお楽しみください。
 ちなみに、調子に乗って「朗読庵」の次をイメージングしてみたが、そこはただの「茶室」であった。





※「朗読庵」のアイデアを実際の営業に使用される場合は、事前にご一報いただければ幸いです。

http://8013.teacup.com/camino/bbsからお願いいたします(入力されたメールアドレスはBBS上には表示されません)

*1:破壊するだけではなく反対の面もなくはないが、ここではそのネガティブな側面のみを例として扱う

*2:品行方正ぶって、闇のマーケット=悪所の存在を否定するつもりはない。私が問題視するのは「悪所の貧しさ」の方である

*3:「文化」の視点から「性」を見る場合、「生めよ増やせよ」的コンセプト即ち「生殖」機能とその政治的利用の話は、一時捨て置く潔さが必要である。そしてもう一つ、どのような「機能」に着目するか、あるいはそもそも「機能」とは何なのかを直感的に理解できるか否かというセンスの問題が抜きがたく存在する。アティテュードとしてのモダンデザインとは、機能性の追求及びその過程で余分な要素をそぎ落としていくことに他ならなかったが、デザインとしていちばん大切な「カッコ良さ」まで捨ててしまうことは決してなかった。と言えば分かっていただけるだろうか?

*4:敢えてクリティカルな問題を例にとるなら、従軍慰安婦などどいう酷い制度がとにもかくにも一時期実在してしまったらしいという史実は、この国の文化的な貧しさを実証している。無論、ここで言う貧しさとは状況の話である。例え豊な伝統を持っていても、状況としてはいくらでも情けないことに成り得るという見本

*5:ちなみにこれはAVも同様。生身のAV女優は3次元だが、モニターに映し出される彼女たちは、視聴者にとってあくまで2次元の存在である

*6:その意味でもまさに「耳かき店」の登場は予言的であった

*7:朗読庵における「添い寝」は、耳かき店における「耳に息を吹きかける」サービス同様、やれば人気を呼ぶことは間違いないが、同時に強い反発を買い、トラブルの原因ともなるだろう

*8:今、ガラスの酒器で日本酒をのみながらそう思った