ぶろぐ? ああ、ネット世界のナタデココみたいなヤツね。Blogの話題をふられる度にそんなこと言っている。10年後はナタデココに決まってんねんから思い出作ったらええんちゃう。そう言やよくベッドで一緒にナタデココのヨーグルト食べたよねみたいな。だってね、本気でユニバーサルなんて言うなら当然、歯の生えそろわない乳幼児から歯の抜け落ちちゃったお年寄りまででしょ。その意味ではナタデココ未満じゃないですか。
ところでWikiてどう思う? 答えられず、お約束通りパーマン2号の真似をする。
よくわからんけど、「誰でも」「自由に」がそんなにいいのだろうか。いいかもね。まったく収拾つかんでも。
で、Wikiの理想を意識しながら、とりあえず今必要な実用性という問題への解決策として、例えばUikiなんてのを考えた人もいるようです。何でも、みんなでいじっても基本のデザインフォーマットがそうそう無茶苦茶にはならないとか。

まあ、唯一言えることはアレです。<これらの話に私はついていけない>。
寿司通が最近の寿司ネタについて語り合ってるようなもんで、久しく寿司なんか喰ってない自分は、せいぜいほおマニアックやねえと感心するぐらい。マックフライポテトやったら昨日食べたけどな。
いずれにせよ、「俺は食べたいこんなネタ」と「握りましょうかこんなネタ」がぴったり合致した瞬間、ふいに寿司的至福の先年王国はやって来る。

何の話やったかな。
そうそう、今、「こんなことしたい」と「こんなことできます」のハッピーな出会いって、必ずしも効率良く起こってないんじゃないか。そこで出会いのセッティングというかやり手婆と言うか、一見してわあ凄い的な感動を与えるものではないけど、地味な調整作業が重要性を増しているな、と。
俺はフラッシュ一発で世界を相手に・・・みたいに多少トチ狂ったアホな衝動も、原点として当然大切にしたいですが。
小泉産業主催の「国際学生照明デザインコンペ」→http://www.koizumi-designcompe.com/の入賞作品やなんかを見るとはなしに見ながら、そんなことを思った。

と言う訳で、私が利用してるのは「ぶろぐ」ではなく「はてな」のサービスである。
キミなあ、こんなとこでヨイショしても謝礼は出んよ。
あれ、そやったんですか? じゃ、言い直す。
おい、お前ら、こんなどっちでもええもん、ほどほどにしときなさい。
などと言いつつ、しょーもないしょーもないしょーもないことして遊びたいね。

そんなこんなで魚鳥目、申すか申すか。