アストラル建築試論(5)ユニフォーム・ライティング
 
 「がちがちの石材を積み上げることから始まったメイソニックな(筆者脚色)西洋建築と、線材を組み合わせて建てる日本建築では、もともとの発想がぜんぜん違う」
 設計屋をしている友人の言葉。<もともとがぜんぜん違う>ということは、つまり<今はさして変わらない>ということの裏返しなのだろう。良くも悪くも、非常に特殊なものを除き大方の建築技法は、とうの昔にグローバル化してしまっている。
 それに比べると照明の場合、大した違いはないようにも思えるがそれはともかく。魔術に似合う照明と言えば、普通に連想されるのはキャンドルか月の光か、そんなとこだろう。奇想天外にユニークな答えは予想しにくい。共通点は、アストラルな光(カタカナ表記にすると紛らわしいことに気づいてヤメた)を妨害しないという点だろうか(だとすればルートロン社製の調光器具にも“魔術用”のショルダーを付す資格は充分だ)。
 魔術等、イメージ上の(と、とりあえず。乱暴な言い方だということはわかってますっ)作業を通じて達成されるある状態を指すのに、しばしば<光>の暗喩が用いられることはご承知の通り。この、アストラルの暗喩的な<光>は、リアルの光とは関係ないどころか、どちらかと言うと相性がよくない。リアルの光がリアルの闇を照らすのと反対に、眩しすぎるリアルの光は、精妙なアストラルの<光>をかき消してしまうためだ。多くの実践者にとってもう少し身近なアストラル次元の光としては、例えば作業中にイメージ(視覚化)される五芒星などが挙げられるが、こちらはもっとハッキリ、眩しすぎるリアルの光と相性が悪い。そんな訳だから、実践上、リアルには適度に薄暗いスペースが好ましいということになるが、あくまでこれはリアルの話。筆者の考えでは、今日においてアストラルの領域で未だ薄暗いイメージしか持てないでいるという状態は、実践上とんでもないネックになりかねないと思われる。
 イメージ上オープンエア・タイプのテンプルで作業している筆者の場合そもそもあまり関係ないのだが、スピリチュアルな作業場としてのアストラル建築向き人工照明は? となると、イメージ的に日中の太陽光に近いものが思い浮かぶ。つまり、色温度の低い白熱灯よりも、むしろ蛍光ランプの白い光。全体の照明デザインとしては、天井面や壁面まで隈無く照らし、空間をひとまわり広く感じさせるような、全体をやわらかく包み込むような、均一にしてフラットないわゆる”ユニフォーム照明”。反対に好ましくないのは、レンブラント・ライティングよろしく術者にのみ降り注ぐ中世的ヤニ色のスポット光だ。術者の脆弱なnow here感覚を補強するための必要悪と考えられなくもないが、使わずに済むのならそれに越したことはないだろう。
 今日のスピリチュアルな作業にふさわしいアストラル次元の照明プランと考えられる<ユニフォーム・ライティング>。それは、先に触れたアストラル・デッドスペースをデザインし直す際にも、有効である。否、もしかすると、アストラル・デッドスペースのリノベーションとは、空間の形状そのものに手を加えるまでもなく、すっかり忘れていた空間の隙間を照らせば案外それだけで済んでしまうことかも知れない。アストラルの光は、霊性を消し去りはしない。むしろ浄化/活性化する。同時にそれは、霊性を騙ったサル芝居を暴き、白日の下に晒すセキュリテリとしてのあかりでもある。

 かような次第で自分は、将来的に何かの間違いでどこかの照明関係の企業の社長に就任するようなことがあるならば、ぜひ、社名はナントカイリュミナティにしたいと思う(株式結社という組織形態が望ましい)。そんなことすら認めてくれないような会社ならシャチョーやなんか引き受けてやらない。毎年4月に行われる新入社員の何ですか、入社式? そんな無粋な言い方も廃止したい。それを言うならきみぃ、やっぱイニシエーションだろ?