3月13日の補足。
<場所中心的>か<意味中心的>か、なんてことで象徴作用の性質を区分けすることになんぼの意味があるか。
皆無とは言わないが事態が確実に次のフェイズに突入してしまっている以上遅すぎる。だから、どーでもよろしい。 スタティックに解釈された生命の木が百害あって一利なしであることはもとより言うまでもないが、
大阪におけるゲブラーなんてどーでもいいツボを探求することにも意味はないからな。

そんなこんなで今日は寝過ぎた。