師走感の謎

大阪梅田界隈に師走感がやって来た。人々の歩く速度とともに街の慌ただしい度が上昇する一方、心のどこかがほっこりとカトチャンの♪ババンババンバンバンを聴きつけてしまう、あの感じだが、今年もまた説明できる気がしない。無理矢理試みても、魔術によって引き起こされる或いは体感できる何やかんやに対する心理学的説明にも似て、話をセコくつまらなくする以外の効果は期待できないだろう。
人や車の移動速度は、経済活動の充実度とはあまり関係ない。価格競争力を強化し薄利多売型ライフスタイルへ移行中の人は儲かってなくとも無茶苦茶急いでいるから(お前が言うなてか?)とかではなく、もっとあほみたいに単純な話。人々が早足になっているのは単にここんとこ寒い日が続いているというだけのことではないか? モスクワで人々の歩行速度が速いのは大阪を上回る忙しさではなく、ちんたら歩いてたんじゃと寒過ぎてやれんからというプリミティブな事情に起因するものである*1という元謎のロシア人情報を解析するまでもない話だ。
街路樹に施されたLEDの電飾がクリスマス感の醸成に貢献し始めた昨年と違い、今年は新春から道路脇にダーッとクリスマスツリーが並びっぱなしだったとか、君らロングマフラー捨ててしもたんか? なんて事情もさほど関係なさそうで、 今日は移動時、大江健三郎『さようなら、私の本よ!*2』などを読む。9・11以降の状況に目をつぶったままのんきにスピリチュアリティがどーたらとか言うててええの?

*1:何年前に聞いた話だろう。2005年11月現在状況が変わっていたら申し訳ないです。

*2:

さようなら、私の本よ!

さようなら、私の本よ!