“オタクの観光資源化”をめぐって〜アキバvsポンバシ比較は、きっとあんまり意味ないよ〜

『さらに観光地化したアキバ。「最近の秋葉は居心地が悪い」とも』
http://www.akibablog.net/archives/2005/11/post_161.html
他人様のblogをネタにするにあたって、本当はちゃんとトラックバックを送っておきたいのだが、『お詫び:トラックバックスパムへの対策のため、トラックバック元URLに、アキバblogへのリンクがない場合(Livedoorでの旧ブログへのリンクではありません)は、「トラックバックを受け付けない」ようにしています』ということなのでリンクのみ。マジで迷惑されているご様子痛み入ります。

エントリの内容は、大雑把に言ってタイトルの通り。筆者のおそらくは同類と言ってよいオタク仲間の誰彼の発言などもふんだんに引用されている分、いわゆるアキバ系と呼ばれる人たちの多くが、昨今のアキバの動きをどう感じているのかが手軽に読みとれるエントリとなっている。しかし、その分誰がどう感じているのか、例えば筆者であるオタクA氏と、別のオタクB氏と、また別のオタクC氏の感じ方はどう違うのかとか、そのへんは見えにくい(見えにくいやなしに、そもそもない、あるいはどーでもいいのかも知らんけど)。
見えにくいがそのまま。なるほど、いきなり「キモイ!」と指さされて楽しい人間は希だろう。居心地のよかった自分のテリトリーを侵される寂しさについても分からないではない。だがこれは、かつての電気屋街が転がるブタのようにオタク臭に染まって行く段階で、非オタ系の人々が感じたことと(指さしやカメラを除いて)さして変わりないはずだ。また、そもそもサブカル(この人たちにとってはゲーム・アニメ・特撮か?)人間のクセして“指さし・嘲笑・カメラ”ごときで、あんたたちが悪いんだ的ナイーブな泣きゴトが言えてしまうメンタリティ*1、ここが正直、私には理解できないところ。従って、恨めしそうなニュアンスを込めて『以前のアキバでは、ほとんど見かけなかった格好をした人を見かけることが増えた』と言われても同情はできない*2し、『家庭に土足で踏み込まれ、日常生活を嘲笑されるような心境』に至っては何をか言わんや*3である。秋葉原の街はあなたの家じゃないでしょう?

オタクのメンタリティの話は、実は余談で、上記のような状況は、直接的には超大型店舗〜ヨドバシカメラ〜進出のインパクトによってもたらされた、とされている。そんなもん出店せんでも遅かれ早かれこうなったはず、とも言えるが、最も劇的なインパクトは何だったかとゆーことで。それはもう、かつての大阪アメリカ村に対するBig Step的なまでの影響力かもね。まあ、きっかけが何であれ、それは起こってしまった。
“東のアキバ”に対して引き合いに出されることの多い“西のポンバシ*4”は、今のところこのようなことにはなっていない。いろんな世界が同じ空間上に重層的に拡がっている大阪日本橋の場合、オタク一色に塗りつぶされる*5こと自体考えにくく、従ってオタクの“観光資源化*6”が起こる余地も当分は無さそう。
してみると、アキバvsポンバシ比較から東京と大阪の違いを導き出したりするのは、かなり怪しいやり方であることが分かる。セットで語られることが多いため、つい、無意識にそんな見方をしてしまいがちであることに気づきハッとする。そもそも街の成り立ちからして全然違う訳で。
江戸時代、現在のキタ=梅田がまだ一面田んぼだった時代、大阪の都心と言えば日本橋界隈を指したんですな。と米朝師匠*7が言ってるのを確かテレビで観たことがある。

*1:有り体に言えば無神経っぷり

*2:とゆーよりお茶吹いてもた

*3:正直、調子に乗って慎みを忘れた元マイノリティが「勘違い」を窘められただけと思えなくもないんやけど。偏向し過ぎ?

*4:あくまで「ポンバ」と呼びたがるK 女史のような人もいますが

*5:正確には、一色に塗りつぶしたものとオタクたちによって勘違いされる

*6:オタク自身によるネーミングだとしたらちょっといい感じの自惚れだ

*7:たぶん。でもこのへん記憶は曖昧、ごめんなさい。立川談志師匠でないことだけは間違いないけどな