ドン・ファンの語る「シャーマンたちの失敗」その3(まだ日付変わってないし)

画像から(あるいは生身の女から。どのみちさして変わりはない)頭の中に起こしたオナペットと違って、生身の女は支配などできない。間抜けな白日夢を見て呆けるのは自由だが、相手はそう都合よくいつもこちらの思い通りにばかりなってはくれないものだ。強引に食事に誘ったときは当然おごらねばならん。ごくまれに、無理矢理誘い出しさんざん引っ張り回した挙げ句にかねまで払わせるような者もあるが、覚えておくがいい、そういった手合いこそ真に戦士と呼ばれるに値する連中だ。戦士はいかなる場合にも動じない。戦士はヒモの結び目で出会い、ささやかな意志疎通を楽しむ。わしは自分に望みうる最大限の畏れと尊敬をもって<無機質の存在>と出会い、かけがえのない驚異の瞬間を楽しむ。そしてその刹那、コンニチワより多少気の利いた会話ができるのなら、等身大即ち無限のラプチュアをもってその限界に甘んじよう。魔術師が何を視覚化(頭の中のオナペットを外に見ること)しようとそいつの勝手だが、支配できるのはオナペットであって、彼女ではない。そもそも彼女には、底というものがないのだから。神なし、我あり。あのこ、底なし。(『ドンちゃんの教え』より)
例え、ドン・ファンの言う<失敗したシャーマンたち>と見かけ上同じ方法をとっていようと、実はそんなことは少しも問題ではない。現代の魔術師は、やり遂げることができるか? 気になってしまうのはそこだが、自分は自分以外の人間が何を考え何をしているのか、厳密な意味において何も知らない。