2006年秋分のバケラッタ(ハーレクインロマンス)

 ところで、今回の件で得をしたのは誰? 何か騒動がある度に誰もが思いがちなことではあるし、毎度耳にするお馴染みのフレーズ。この疑問を根気よく追求することで、例えばマイケル・ムーア氏なんかの場合は、それこそ体力の続く限りガンガンに仕事ができるに違いない。がしかし、同時に、すべての戦争の目的はそれを続けることにある。とか、ほとんど絶望的とも言える結論に至ってしまうのも道理。フラット化とは、私たちの住む世界が限りなく熱死状態に近づきつつあることを示す兆候にほかならない! という解釈にも似て悲しすぎるロジックです。そう言や西と東のファッションが似てきた。とか朝日新聞の記事にもなってましたが、三宮駅前に丸井が出店してきた時には、自分もすごく嫌な気分で「神戸に丸井*1はいらん!」とか言いながら中華料理食べたりしていた記憶がある。何の話だ。そう、悲しすぎるロジック。マジで言うけど、そんなことはね、あり得ないっしょ。
 という訳で、ここはひとつ、昼と夜の均衡にちなみ、エセ&プチ・ヴィクトリアンな<正義*2>たらの観念をタロットカードもろとも処分してみるとゆーソリューション提案を。てかね、エリスちゃんのご登場を拍手で迎えるというのはどうか。即ち<マアト>とは、仮面をつけて<おしとやか>している<エリス>にほかならない*3のかも知れないよ。案外。彼女が「バケラッタ!」と叫んで仮面をとりギンギンに踊り出した姿こそエリスなんじゃないの? とかな。このアイデア、どうだろう? マアトの羽根だって、実は机の上をキレイに掃除する為にこそあるんじゃないの? とか考えてみる。 この均衡から、更に望ましい次の均衡へ、もっと無茶苦茶にシャッフルされるべきことは、たくさんたくさんあるはずだ。禁欲的修行Mと中村うさぎ*4の間を行き来する瞑想とか。MAGICKも魔術も関係ねーよという人の場合で言えば、厳密に調性に則ったクラシック音楽とフリージャズのインプロヴィゼーションを等しく<音>として聴く*5、みたいな。
 そんなこんなで、倖田來未のパンツよりエリスの投げる黄金のりんごに興奮するような奴も、まあ、少しはいた方が健全な気がする秋です。

*1:まるいってどんなカイシャですか? というのどかな質問に対し「学生にほいほいカード発行してバンバン買い物させて親に払わせて大きくなった会社だよ」と説明したのはつい最近のこと

*2:例えば、アラブの大富豪オサマ・ビンラディン氏にしたところで、勘弁していただきたい物騒で困ったものとは言え、彼なりの<正義>を正に貫いている訳で。じゃ、その<正義>を「間違っている!」とする人の<正義>はどうなのか。このへんの検証がフニャフニャであったりドリフの正義であったりする場面を目の当たりにしてしまった以上、まっとうな判断力をカケラ程度でも留めている人なら、<正義>というコンセプト自体の有効性を疑わざるを得ないでしょう。魔術ファン諸姉諸兄におかれましては何卒、このへんの判断に当たっては、アニメ特撮戦隊もの及びある種のSFや神話の類で培った倫理観の影響を厳密に排除していただきたく

*3:クロウリー,榊原訳『トートの書』国書刊行会,p103によると「仮面をつけているが、その表情から、宇宙の不均衡の要素をすべて支配していることに心から満足している様子がうかがえる」とのこと。つまり、トートタロットkey8を題材にした瞑想と、エリスを主神とするオリジナルりんご放り投げリチュアルの創作/実践を同じことと見なしてOKとゆーことだ。たぶん

*4:『宇宙の不均衡の要素をすべて』というよりまったく『支配』できてない、もしくはする気がない人ですが

*5:個人的には_THE BOOK OF THE LAW_1-4を連想。"Every number is infinite; there is no difference"な感じだ