イクラ風味の夜つゆだく

 はい只今と言って厨房へ走り、取って返して割り下を足す。今日はもうハナザカリくんと無駄話なんかしている暇はないだろう。
 「関西じゃ割り下使うのん邪道やで」
 早く足せと呼びつけた男が言って連れが一斉に笑い声を上げる。すきやきの前に「コスプレ」の4文字が付く店をわざわざ選ぶようなサラリーマンに言われると当店のメニュー同様なかなかに味わい深いものがあり、つい、余計な返しをしてしまいそうになるが、そんな暇もなく次の団体客が来て2階の座敷以外満員御礼。ロッカールームでちんたら着替えていたバイトの女の子たちが揃いのナース服でぞろぞろと登場したのと入れ替わりに、僕は厨房へ引っ込む。

 僕たちは、この店でブツを売っている訳じゃない。むしろ仕入れるために働いている。<仕入れる>という言い方が正確じゃないなら<仲間を募る>ために。
 つい先週末の話だけど、彼女たちをどうやって誘ったものか、どう切り出したものか、そう言えばひどく悩んだ。まず、自分たちのやっていること、やろうとしていることをどこからどう説明していいか分からない。まさか、いきなり「僕たち秘密結社の者ですが」はないだろうし、ハナザカリくんはニヤニヤしながら「上手くやれよ」としか言わない。
 幸い、ブツのことを話すと何人かがさっそく目をきらつかせてくれた。何事に対しても危険なほど好奇心旺盛な年頃。ってヤツですか。



 マルチボーダーなワンピ/もいいけどローブの代わりにはならない/じゃナースのコスチュームは/OK/どんな儀式やろうってんです/そのうち分かる/戴冠式看護学校の子から聞いたことあるんだけどアレ連想しちゃいましたよ/俺も/しちゃいましたか/ああ/へえ/しましたとも/よーほー/何時になっても為せ。



 バイト中にブツの話も何だし、今日に限ってはそんな暇ないし、続きは閉店後ということに。
 喋るのはやっぱり僕の役目だった(ハナザカリくんは自分だけナマチュウオカワリとか言ってまったくいい気なもんだよ)。

 タイムドメイン理論が暴くJポップの正体。表面張力だけが頼りの僕たちは実技指導に入った(と言ってもハナザカリくんは隣でガンガン飲んでるだけ)。僕は、成り行きを確認しタイミングを見計らいながらていねいに、自分の能力の範囲内で可能な限り分かりやすく話しかける。テーブルを挟んで向き合っている3人(初回の参加者はそんなもんだったと思う)の女の子たちは、みんな同じ角度に俯いて必死に涙をこぼしている。店員は怪訝な顔をして見ている。隣のテーブルに陣取ったカップルも何だか居心地悪そう。だが、ここでメゲる訳にはいかない。
 つぶれないように涙をこぼすのは、特に最初のうちはとても難しい。勘のいい子ならスグに要領をつかんでしまうこともないではないが、その場合にしたって、いきなり正確に目標の容器の中にこぼせるかというと、これはほぼ奇跡に近い。
 そんな訳で僕たちは、決して飲み物をぶちまけるような真似はしなかったけど、テーブルは彼女たちの涙ですっかりびしょびしょになってしまった。