SOLID GOLD EASY ACTION〜網状言論F改今更記

オタク文化が何であるかとか、ネットがどーでセカンドライフがこーのとか、ここでも当たり前にネタにして来た気がするが、それが<いかに簡単か>または<どこまで簡単になり得るか>の一点を除き、ぶっちゃけ自分はほとんど興味がない。
とか言いつつ、遅ればせながら最近『網状言論F改』を読んだ。意図的に避けられたり、持って回った言い方をされやすい「セクシュアリティ」の問題が、比較的ストレートに扱われているような感じだったから。
果たして、それは扱われていて、名前忘れたけど長年エロ漫画誌の編集に携わってこられた方の分析は画期的に面白かったし、自分の知らないオタク文化史の教科書的な役割も兼ねてくれる読み物だったから、充分得した本だと言える。あのころなかなか接点がもてなかった同世代の人間は、ひょっとしてこーゆーのに夢中だったのかもな…というようなこと(あってるかどうか知らんけど)を想像させてくれる本でもあった。



それにしても、エロ漫画をはじめ、オタク系文化の系譜に位置付けることができ 、オタク的セクシュアリティを体現している(と読むことができる)作品群(エロゲー含む)を引き合いに 、マチズモの崩壊過程*1が説明されているくだりなど、今頃何言ってんの? という感想を禁じ得なかった。そんなもの、ロック方面ではすべて60〜70年代初頭に完了していたことだ。マッチョ=プレスリー(グズグズの種子を内包しつつも)→彼氏になりたい(ビートルズ)→おもちゃになりたい(Tレックス)→犬になりたい(ストゥージズ)と書いただけでも明らか過ぎる。
オタクはジェンダーパニックを抱えているという話だって(セカンドライフでセクシーな女の子をやってる小デブのおっさんとかを普通に連想してしまうけど… まあ、何年か前の本だからもちろんそのへんは、ね)グラムロックより30年は遅い。



個人的には、精神分析的なアプローチ=90年代的「トラウマ/癒し」のセットに回収されてしまうような似非科学的MAGICKには興味ない(そのテの簡単は要らない)し*2マーケティングクラスター分析の手法が限定的な場面/領域のみでしか有効でないのは言うまでもない。
それでも自分は、その中間的アプローチ*3には何がしかの意味があると思う。編者の東浩紀*4にしろ一部見られるカルスタ的アプローチにしろ…。



そんなこんなで、今の状況と、本の内容に照らして、自分の興味のポイントを再度書いとこうと思う。

例えば、<グラム系メイクで街を歩くにはそれなりの覚悟が必要だったが、ネカマはもっと簡単にできる>ということ。で、この<簡単>を肯定的に捉えたらどういうことになるか、どういう方向に行けるか。



以上。







♪関東最古の神社に「らき☆すた」ヲタク殺到http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070725-00000925-san-soci

♪パイレーツ・オブ・イルミナティダ・カーポhttp://d.hatena.ne.jp/FraterCS/20070630

*1:旧アイオン的男らしさがグズグズになっていく歴史的プロセス

*2:全てのオタクを一人ひとりもれなく分析するなら話は別だ

*3:と“簡単に”言ってしまっていいのかどうかは確信がない

*4:タイトルに惹かれて『動物化するポストモダン』を読んだとき、何てオタクな人なんだと驚いたものだが、ネット上では「東は本物のオタクではない」とする意見をよく目にする。まったく、実体のない「オタク」という概念を象徴する現象だ。何せ「オタクとは何か」を突き詰めていくと、オタクを自認する本人の「オレ」に行き着かざるを得ないそうだから