OTO/太陽神=男性原理? で?

 残念なことに、OTO*1あるいはセレマ魔術について、とゆーかMAGICK全般について?
 「女には向かない」
と思っている人がまだまだいるみたいだ(何年か前には「日本人には向かない」というのも何度か聞いた。そんな、、、俺らにどないせえ言うねん。夢も希望もない酷い話だった)。
 もちろん、すべての事情を個々に把握している訳ではない。でも、その理由が“太陽に対する礼拝*2”みたいなことだったりしたら、個人的にはホントますます残念で仕方がない。
 太陽→男性原理→男根崇拝。なるほどポピュラーな連想。しかし、それがために女性が太陽を礼拝する場合には困難と限界が伴うなどとする理屈は、正直自分にはまったく理解できない。もし、どうしても不都合があるのなら、そんな考え一時捨ててしまってはどうか?*3
 すると、ほら、日本の神話でお馴染みの太陽神たるアマテラスは女性で、月神ツクヨミは男性だったりする*4。新年の御来光について「あれは女の子には向かないよ」などといった話も聞いたことがない。
 自分の関心事は、土着の霊性的・文化的伝統に、スピリチュアルのユニバーサルデザインをどのようにフィットさせていくかということであり、決して無条件に西洋の伝統(あるいはグローバリズム)に隷属することではありません。と、改めて明言。

*1:自分が所属しているのは大阪のSky Goddess Nu Lodge→http://www.skygoddessnu.org/

*2:セレマ魔術の場合、礼拝というのは、跪いてははああああと崇め奉るというより、イメージ中で対象との同化を試みるといったニュアンス

*3:二元論の超越などと言ってしまうといきなり大きく出たな馬鹿めがという話になるが、言ってみれば、ジェンダーに起因するすべての問題に関して、解決に至る実際的現場的ロジックを一つひとつ見出していくより先に、何それ? と人工的かつある意味暴力的なイノセントの獲得を目指す。そのためにはまず、<そのように振舞う>ということ。ちなみに、セレマ的宇宙モデルにおいて、無限の空間を象徴する神格は天空の女神ヌイト=Sky Goddess Nuであり、術者とゆーか実践する人の中心点としてイメージされる神格はハディートだが、これは術者の性別が何であれそういうことでOKですよという話。それからついでに、<生命の木>のどこかの棚でそのような不都合な概念が均衡を保てずに悪臭を放っている…てな人も、たまには思い切って大掃除をされてはどうだろう。<生命の木>の使用に際しては、医薬品にも似た注意が必要と思われる。取り敢えずどのような副作用=カバラ中毒が考えられるか、予め知っておいても良いようなものだが、薬事法の制約を受けない魔術書の場合、必ずしもわかりやすく表示されていないのが現状だ。システムとしての<生命の木>が潜在的に有している危険性とは、つまり、ある特定時期の流行や、特定個人の主観あるいは一時の気まぐれであったかも知れない出来事を、永劫不変&普遍の動かしがたい真実であるかのように錯覚させ、さらにその認識を固定化してしまう恐れがあるということ。使用者が、性格的に思い入れが激しくやや融通の利きにくい傾向を持っている場合は特に要注意だ。<生命の木>は、そういったもともとの傾向をブーストし、独善的で手に負えない人格を育成する方向に機能しかねない。この時代、私たち一人ひとりにとってのチャレンジは、いかにして<慎ましく開いていく>かということであり、決して<はしたなく閉じていく>ことではないはずだ

*4:あるいは、こんなこと言ったら叱られるかも知れないけど、たまにはポジションチェンジも良いのではなかろうか。もしポジションチェンジの禁止をルール化するようなことをすれば、サッカーの場合なら確実に面白みが半減する。でもウチだけはそうしよう、などというとち狂ったチームは、確実に弱くなるだろう