お手軽魔術を全否定 

 セレマはすぴりちゅあるのユニバーサルデザインです。
 言い切りましたね? 言い切りました!
 C.S.さん、最近なんかスピってないすか? 何やそれ? 俺はお前の喋る言葉がわからんよ。しかし、今だからこそ、故なきポジティブネスを発露しまくる人たちとOTOとの親和性の低さについて、はっきりさせておきたいことがある。
 
 セレマの宇宙論、グランドデザインは包容力に冨み、融通が利いてとても便利。唯一のデメリットは、強いて挙げるなら「便利過ぎる」ことぐらいじゃないかな。それは「お手軽」を受容する否、受け入れてくれたように錯覚する者を止めてはくれない。残念ながら、本人は、ラア・ホール・クイトの凄まじき天罰を受けるその瞬間まで気付かないものなのかも知れない。

 自分は「お手軽」を否定する者ではない。マーク・ボランのイージーアクションは名曲だと思う。テクノロジーの進歩なんて、たいがいはその線で起こったものだ。以前は面倒だったものを、いかに「お手軽」化するか。その成果を、在家の誰が否定できるだろうか。享受なら皆喜んで。
 お手軽にできることを、敢えて面倒くさく行うことは、趣味の王道である。こちらについても、自分は決して否定しようとは思わない。むしろ、否定してはいけないと思う。手動のコーヒーミルのハンドルをゆっくり回し、ガリガリと豆を挽く。とてもいい。そんな人が淹れてくれる珈琲は、たぶんハンパなく旨い。だが、電動ミルの使用を非難されたり、コーヒーメイカーなんか捨てちまえ! などと説教されるに及んでは大きなお世話だということ。

 と、その程度にはお手軽派の自分ではあるが、基礎訓練とは、いつの時代も地味なもの。継続は力に違いないが、同時に地味を極めるもの。こればかりはどーしようもない。そこを魔術で何とか…とか面白いこと言うやないかジブン。
 楽器が演奏できなくとも、音楽を創ることはできる。ただし、初音ミクに歌わせるだけでは満足できず、どうしても自分で歌わんことには気が済まない。打ち込みではなく、自分で汗を流しながらタイコが叩きたい。ご苦労さんなこってすが頑張ってください。指から血ぃ出たけど、出したい音はいっこうに出る気配さえ示してくれない。そういうものだ。そこは、自分の目指す表現に鑑みて必要な技術を、何としても修得するよりほかないのである。
 ところがここに、「バンドやりたいんだけど楽器マトモに演奏できないから、取り敢えずフリーフォームの演奏でもやっとこう」と思い立ったタアケ者ありきとしよう*1。何ともフザケた話ではあるが、そこから何かの間違いか文化的事故により新しく面白いものが生まれ得る天文学的数字でも描けない可能性を、自分は敢て否定しない。期待もしない。
 個人的には、もちろんそのようなアプローチはNG。Magickにおいても同様。



 と、ここで終わってしまったんじゃ身も蓋もない感じですが、またそのうち。

*1:軽く迷惑を被った経験を持つ自分が言います…などと書いたスグあと、またまた別件で、10年の時を超えて再び。自らの駄文の行間に潜む嬉しくない既視感に苦笑。ちなみに、一人の人物がMagickに向かう態度とMusickに向かう態度には、共通するものがあるのだろうか? いずれにせよ問題の本質は、地道な努力を拒むことではなく、give and takeのtakeにしか興味がないこと、“対価”の意味、それを支払うことの大切さもしくは必要性がまったく分からないという経済観念の痛々しい欠落あるいは倫理観にあると思われる