反動の空気の中、二千年後を幻視

 軍服にちゃらちゃら音のするブーツとか自分も好きだが、そういう話ではなく。
 「デフォルトやろ」とか言いつつビールで乾杯する人たちがいて、「デフォルト? 何ぞそれ」などと言う人がいて、見事デフォルト化したディスコミュニケーション*1。そんな今、NEW AEONを逆行させたいかのようなある種の意志を感じさせる反動の潮流。



Ex.1)ドラッカー再評価:
 ピーター・ドラッカー関係の本がやたらと出版されているが、どういう人がどの程度買っているのだろうか? それはともかく、この人によると、企業の存続理由とは顧客を創造し続けることにある。ということになるらしい。資本主義市場の枠内で考えるならきっと正しいのだろうが、こんなロジックを有り難がっている限り、所詮すべてのカイシャはカイシャのためのカイシャであるに過ぎない。言い換えると、ある企業に所属する人が、自分の所属する企業を存続させたいと願う場面でのみ限定的に有効であり、外からは関係ないということ*2

Ex.2)内田樹『街場のメディア論asin:4334035779』で開陳された「適正」論:
 『与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するように、自分自身の潜在能力を選択的に開花させること』こそがキャリア教育の目的であるべき。何もやらないうちから自分の適性など分かるものかと、できあいの<自己実現>を求めわがままを言うばかりで辛抱の足りない若者たちのぬるい仕事観を、スピリチュアルな<自分探し>の放浪に重ねて文部省ごと批判。…快哉を叫びそうになるところをクールダウンし、安易なカタルシスの回避をこそ、禁煙よりも優先したいと宣誓。不毛なのは、目くそ鼻くそ同士が互いに全否定し合うような霊性的内線状態だろう。



 さて、上記両者に共通するのは要するに閉塞指向ではないかと、ディスコミュニケーションに戻る。
 「デフォルトやろ」とか言いつつビールで乾杯する人たちがいて、「デフォルト? 何ぞそれ」などと言う人がいて…。「個」の立ち位置から、「深淵」の向こう側に、「普遍」を垣間見る努力を怠るつもりは毛頭ないからなと開き直ってみる。最早代わりようのない流れであるから。そして、人類の過半数が実際に深淵を越える*3頃。「任務終了取り引き赤字」の言葉を残し、ラア・ホオル・クイトは玉座を譲る。と、二千年後を幻視してみた。

*1:当たり前と言えば当たり前の話だが、日本人は、隣人の発する言葉がまるで理解できないという状況に不慣れな民族だということ。良くも悪くも国際標準な状況に至ったそんだけ

*2:無論そんなことは、他ならぬドラッカー信者自身がいちばんよくご存知だろう。もし、ドラッカー理論で人類の未来を切り拓こうなどと真剣に考えている人がいるなら、深淵うんぬんとはヘンタイとしての格が違う

*3:しょーもない誇張を入れてみた