2011年新たな同時多発へ向けて

 親指1本でうまく入力できない故スマートフォンを操作する姿はスマートからほど遠く、電車の中で女子高生らに笑われサルのようにイーッとなる、そんな自分にこそiPad、と購入したその日に座布団感覚でペリッと割ってしまう。といった事故が同時多発中ですなんて話は聞かないが*1、これからの基幹インフラは無線で固定は補助である。などと言われても、はあそうですかてかそのままやないですか。そんなことより、もっと大切なものにこそ思いを馳せたい師走の空の下、いかがお過ごしで? 
 しかり、見えないインフラを介した見えないつながり、および会うべくしてなのかたまたまなのか結局わからないリアル会い。



 たとえば、迷路のように入り組んだ地下水路をちょろちょろ、行き止まりにぶち当たっては引き返しながらアンダーグラウンドで暗躍しワールドワイドに繁栄を謳歌するドブネズミ。彼らの場合、ロンドンの兄弟姉妹が迷路をうまく潜り抜けた瞬間、大阪の兄弟姉妹も迷路潜りのスキルが上がっているに違いない。そう言ったのは、サイエンス界のケネス・グラントとも呼ぶべきルパート・シェルドレイク氏*2。そうは言ったものの、どうやって証明したものか自身にも皆目わからなかったというから、それってどーよ? と『ネイチャー』誌書評欄で「焚書候補第1位」と酷評されたのも頷ける、1980年代を代表する奇書*3ありけり。
 さらに遡って1960年代後半東京。ノイズもドローン*4も未だ無かりし頃、新しい演奏スタイルを求めて試行錯誤していた山下洋輔氏は、リハーサル中、みんなもっと無茶苦茶やってくれとメンバーに伝える。俺たちはいったい何をやってるんだろう? ところが、これが突然どこかではじけた。さらに特筆すべきは、その瞬間、ニューヨークのセシル・テイラー氏も同様にはじけていたらしいこと*5。もちろん、はじけた後の<セシル・テイラー・ユニット>の演奏は、それまでの知的なアプローチとはほど遠い「フリー」なスタイルをとっていた*6



 個人的体験を代入し、類推されたい*7
 似たようなことは既に身近に起こっているし、今後さらに頻繁に起こるだろう。







Don’t think, feel!*8











*1:鮫よけスプレー以来の画期的発明とも思えるiPhoneアプリ





生命のニューサイエンス―形態形成場と行動の進化

生命のニューサイエンス―形態形成場と行動の進化

*3:80年代を代表する奇書(?)








*6:山下洋輔3とセシル・テイラー・ユニット







*7:タトゥーアーティストのスコット・キャンベルが登場するCM。冒頭の風景が御堂筋線新大阪‐西中島南方間を思わせる

*1:この、元祖劇場版バットマンで華々しく紹介された鮫よけスプレー以来の画期的発明とも思えるiPhoneアプリなんかまさに象徴的ですが、古典的なコミュニケーション上の障壁が次々に崩壊していくという楽観的な空気の中、自覚なき誤解がますますひろがる予感。良い悪いの問題ではなく、事態はそのままどんどん動くということ。さて、どういうことになるんでしょうね。さらに話は飛びますが、ベタにリアルなところではジークンドーのお家騒動なども個人的に興味深いところ。始祖ブルース・リーの直弟子にして正統後継者であるテッド・ウォン師が亡くなったこともあり、ますますの泥沼化が予想されるが、これ、何かに似てない?

*2:何だか両者に対して失礼なニュアンスを帯びてしまったが、ここはリスペクトから出た軽口とご理解されたい

*3:クソミソだった『ネイチャー』に対し、好意的に取り上げたのは通俗科学誌などとカテゴライズされブルース・スターリングの小説なんかも連載していた『オムニ』で、著者にもわからない実験方法を誌上公募するなど大盛り上がりだったという

*4:とか言い出す前にまずはエレクトロニカだった訳ですが、ドゥルーズの著書名をそのままレーベル名にしてしまうなんてのも、考えてみればそれまで無かった話な訳で、別方面ではジョン・C・リリーに傾倒してSSEとかありましたが、このあたりも、文脈の変換を含みつつ、いろんなところで見えないインフラが介在するいろんなことが起こり続けてきた証左である、と言えなくもない気がします

*5:ソースは山下さんの『ピアノ弾きよじれ旅asin:4195971322』だったかどうか定かではないが、たぶんピアノ弾きシリーズのどれかにあった、と思う、焚書を免れた奇書と併読中に出くわしたエピソード。記憶のみにたよって書いているので正確さについては責任持てません。まあしかしこのへん、シンクロニシティかなんか言って紋切型に整理して片付けたい、あるいは故なきポジティブネスの典拠としたい向きに対して、無理矢理寝た子を起こすような無粋な振る舞いをしようとは思わないが、そういうオチで納得している限り、あなたのユング先生は所詮その程度のもんでしかないということ

*6:もちろん、彼らが弾ける以前より「フリージャズ」と呼ばれるスタイルは存在したが、それらはあくまで管楽器および打楽器奏者が牽引したムーブメントであり、平均律の理論をそのまま具現化したようなピアノは、明らかにフリージャズに向かない楽器と考えられていた。そのような事情もあってか、ジャズにせよコンテンポラリーミュージックにせよ、当時「前衛的」と評されたピアニストたちは、極めてロジカルな方法で従来的規範から外れる予想外の音列を追求することになったようだ。ある意味、「フリー」とは正反対のアプローチである。彼らのポートレイトに、共通して変態的な香りが濃厚なのはそのためだろう

*7:たとえば、ごく些細な話。日常のあらゆる場面で頻繁に起こっている「そのカッコ良さわかる!」みたい感じとか

*8:"feel"を止めないように考えることができるなら、そうするに越したことはないと思う。そうしないとこれからますます、やっぱり何かと危険でしょう