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アストラル建築断章:ハイパー・モダニズム
リアル建築におけるモダニズムとは、構造と様式の再統合である。とまあ素人の断定的私見を以前述べた。
で、それに対し、アストラル建築におけるハイパー・モダニズムとは、サーフェイスとコンテンツの統合である。と、突然言い切ってしまう。テラコッタとポリカーボネイトがいいね。なんてのも、例えばそういうふうに解釈できるんではないか。フラットという概念の属性のうち、おいしい部分もそこであろう。もっと言うと、日本的霊性のC.S.的新解釈なのだが、このへんまだ他人に分かるようなスタイルではぜんぜん語れない。ほな黙っとけや? いんやせっかくのblogだし、中途半端に語るよ私は。まあ、「そーゆー感じ」ぐらいに受け取っていただければOKやけど、厳密にNOW&HERE的にそう感じてます。
ということで、山本理顕『<新編>住居論』平凡社ライブラリーから引用。
----・・・抽象概念を空間概念に移行させる理論である。/このあたりはいま、実に曖昧になっているように思う。私たちはあまりに無防備であるように思えるのである。/コミュニティの理念について語りながら、それが突然に瓦屋根の集合住宅になったり・・・ひとつの理念が空間化あるいは建築化されるときの移行の手続きが明瞭になっていないからである。
ついでに言うと、私がコールハースをカッコイイと思うのは、要するにそこいらへんが明瞭だから。
私はアストラルにそれをやりたい。明瞭さは、アストラルの領域でこそ大切にされてしかるべきなのだから。
そんなこんなでホットウイスキーはBUSHMILDSが最近のお気に入り。クローブは一つでいいよ。