ホットウイスキーに満足した途端、夏が恋しくなりシンガポールスリング

Fr.C.S.修行ライフhttp://www.sutv.zaq.ne.jp/ckbqm303/index.htmlの「番外編魔法日記」を「はてなダイアリー」に移行して一発目のエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/FraterCS/20040825でいきなり、「ハイパーフラット宣言」とかいい加減なこと言ってる。しかし、感じていることは今も基本的に変わらない。と書いてみたけどやな、あほぷうーまだ半年も経ってないやないですか。
要するに、スッキリと開けた、またはスコーンとヌケた地平に新時代の霊性が伸びやかに鮮烈に立ち現れる。とゆーC.S.的ポスト・スーパーフラットのイメージにパチモンノリのネーミングを付していちびってみました。と言ったところ。それは、コミュニケーションふうディスコミュニケーションの類のパチモン指向、閉塞指向、引き籠もりの輪などを明確に拒否することでもある。実践上、関係性に対する鈍感さは致命傷となるだろう。オタク(もしくはオタク文化)は嫌いだ! とか感覚的に割と頻繁に言ってるのはそーゆーことだとご理解願いたい。そのへん、Hocuspocusさんはもちょっとちゃんとロジカルに語っている。http://d.hatena.ne.jp/Hocuspocus/20050202

ちなみに、この概念上の開けた地平をリアリティとともに認識・展開していくため具体的な空間に翻訳する試み。これがアストラル建築試論である。どーだ、なかなか理路整然ふうに都合よくできた理屈だろう。リアリティです。阿部薫という人がやったデュオ・インプロヴィゼーションの音源に『解体的交感』というタイトルで、今も売られているのがある。これを聴かずに、音と切り離したタイトルだけを鑑賞・展開するなんてアホなことはあり得ないだろう。しかし現実には、そんなことばっかりやってる連中が大勢いたりする。困ったもんだ。

さて、上記のごとき新時代の霊性が鮮やかに美しく立ち現れるハイパーフラット空間を満たす音として、ベタかもしれないが、黒百合姉妹、絶対似合うと思う。ハイパーフラット空間そのものを拓く音楽とはまた違うけど。ハイパーフラット空間? もうちょっと普通に具体的にインテリアイメージとして思い描くなら、たぶん、竣工前なまでに激しいミニマルモダン・テイストになるだろう。激ミニマル、つまりゴシック・ミニマル? そんなミニマルモダンとゴシックて反対やろ? 確かに、建築様式としてのゴシックは荘厳だがスッキリしているとは言い難いし、マリリン・マンソンのファンは「あのゴシックノリのヴィジュアルが好きだ」とか言う。アストラル建築のデザインは、構造上の必然性といった動機付けを必要としない程度には自由だ。そーゆーのが好きなら、表層デザインをそーゆーテイストにすればいい。そして驚け、表層=深層であるという事実。

黒百合姉妹の音、今回の新譜CDまだ買ってないけど、実は意外なほどスリムに整理され、無駄がなく、清々しい。
デッド・カン・ダンスにしても、スッキリしたもんだった。たぶん(ごめん。聴きこんでないから何となく聴いた”印象”の“記憶”ぐらいの話)。


そんなこんなでハイパーフラット空間に立体的な霊性のほとばしり。