続・魔術は死にました

あるいは、文学としてではなく、実践として輸入〜紹介される過程での諸事情・戦略により、最初から冷凍&仮死状態だったとも言える。もちろん、当時はそれなりの必然性があったものと筆者も理解しているが、パーティの席でつまらない揉め事を避ける為にそうしたように、政治・宗教・セックスとの関係性に徹底してモザイク処理が施されてしまったことは想像に難くない。おかげで、正しく高級な魔術のイメージは、<宗教性を有さない消毒済みの形式的所作>を、<道徳的−何が道徳的かは本人も分かっていない−でないセックスをしたことのない人たち> が、<政治的な考え方や社会的位相とは無関係>に行うものとなった。あるいは、表向きのイメージとネガ/ポジの関係で、モザイク−反体制・反宗教・大乱交−への妄想をことさらにかき立て、イタイ人たちにとって蟻地獄さながらの抗しがたい魅力を放つに至った(と想像される)。至ったのは仕方ないとして、状況が変わってもそのままなのはどうしたことか。それを日本西洋魔術界−?−の伝統として守り伝えることこそが自分の責務と考える、天然奴隷軍団のごとき組織がどこかで暗躍でもしているのだろうか? いずれにせよ嘘、インチキ、まやかし、恥ずかしいことなどなど、あらゆる問題の核心部分が、このままどんどんインビジブル化していけるような傾向は決して良いこととは思えない。
また、当Blogにごくごく希にいただくコメントにしても、 批判−いちおーはそのつもりなのだろう−らしき内容のものは今のところ(たぶん)1回こっきりの捨てハンでしか書き込まれたことがないし、時折やって来るお叱りメールは決まってwebメール、しかも差出人の名前がかなりテキトー。要するに名無しさんとしてしかモノの言えない連中だ。このあたりにも終わってる感、死んでる感が色濃い。そんなこんなで、やっぱり魔術は死んでます*1

*1:あるいは、日本西洋魔術のヴィクトリア朝時代は過ぎました。突き破られたハリボテ似非道徳は無効です