石鹸に見る「物語喪失」の現状

 ネット通販で手作り石鹸を買った。何がどう手作りなのか? また、業者言うところの手作りでない石鹸は何がどう手作りでないのか? そこのところはよく分からないのでスルーさせてもらうけど。自分が購入した「手作り石鹸」の特長は「肌にやさしい」ことだと謳っている。どうやさしいかと言うと洗い上がりがカサカサしない、つまり保湿効果に優れているとのこと。主にグリセリン*1による効果らしい。なるほど、保湿成分としてグリセリンが配合されている石鹸というのは、自分の知っている範囲でも結構ある。ところが、この手作り石鹸の場合、グリセリンを「配合」している訳ではなく、単に「抜いてない」んだそうで。どういうことだ? 
 もともとグリセリンというのは、どの石鹸にも当たり前に含まれている物質なんだそうだが、現在出回っている石鹸の多くは、製造過程でグリセリンを抜いたもの。なぜならこの物質には空気中の水分を引き寄せる性質があるため、抜かないことには、浴室など湿気の多い場所に放置した場合、勝手にどんどんやわらかくなり遂にはとろとろと崩壊してしまう恐れがある。なるほど、そんな石鹸は傷つきやすいニート同様扱いづらい*2。…まあ、そのような訳で保湿効果まで期待できない石鹸で身体を洗い、その後のフォローとして保湿クリームを塗る。風呂上りに石鹸を風通しのいい場所へ移動するのと、肌に保湿クリームを擦り込むのとどっちが手間かを考えれば、何だか間抜けな気もしてくる。
 ところで、件の手作り石鹸は「台所用石鹸」として販売されている。直接、肌への使用を目的とした「化粧石鹸」として販売することは、現状では「法律上」難しいので。 …この問題、何かに似てないか?


 人間の自由を保障するための施策である筈の「セキュリティ強化」が、人間から自由を奪う方向でも作用しているという皮肉な現象。自分には、その原因を「マス」ジャーナリズムや論壇の弱体化と関連づけて主張しようてな気は、特にない。しかしながら我々は、医療関係の職業に従事しておらずとも、浣腸マニアでなくとも、グリセリンの性質を語り、石鹸を巡って話し合う言葉ぐらいは充分に持っているハズだし、さらに言えば、プライベートなポジションでパブリックな言葉を用いてコミュニケーションをとることは、ぶっちゃけさほど困難な仕事とも思えない*3
 無数のタコツボ間にはぜんぜん接点がないし、無理やり接点を設ける必要も当面感じない。だから解決への道も取り合えずは皆無? オタクだってヤンキーだって風俗嬢だって石鹸を使う。自分にはそれで充分に思えるけどな。


…という話から一気に飛躍して、
「小さくてもいい、物語を奪還せよ!」
とか言ってみるのはカッコイイのかそれとも激しくカッコ悪いのか、ことほど微妙な今日この頃です。

*1:医療関係者や浣腸好きスカトロマニアの方なんは、きっと、もっと深いところまでご存知なんでしょう

*2:だったら液体ソープにすりゃいいじゃんという話もあるけど、取り敢えずそれは置いとく

*3:特に秋葉原K事件以降、なのかそうでもないのか、「結局すべてはコミュニケーションの問題である」というオチの言説がやたらと目に付く。その割には、…どうなんだろう。セキュリティ業界は傍目にも景気がよろしいようだが、当のコミュニケーション業界の方は微妙な感じ。このあたり、自分にはコミュニケーションの問題というよりコミュニケーション環境の問題の方が大きい気がしている。そして、さらに言えばそれすら枝葉の問題に過ぎない