Tea Break

 ♪温んだ水に/春の日は浮かび/小川の水に春の歌ゆれる/小舟は花束を積んで走る/鳥たちもさえずるよ森の木陰…



 4月8日は花まつりである。1904年のこの日、英国生まれのアレイスター・クロウリーは『法の書』第一章を“受け取った”。
 ラテン・アメリカ諸国の仏教徒たちは、ゴータマ仏陀の誕生日とされる聖なる日を祝って、ダイミ茶をまわし飲みながらあ〜らヨイヨイ互いに世界平和と自由の幻視を競い合う。否、競うというのはいささか不適切だろう。興が乗り次第、自分の観たヴィジョンを自由に述べ合い讃え合うというこのイベントに、ディベート的要素など微塵も見受けられないのだから。有名なキング牧師の“I have a dream”もこの場から生まれたとされる。現在の米大統領であるバラク・オバマ氏の“Yes we can”も、大きくは同じ霊統から生まれたものと考えて良い。
 幻視者の演説に、参列者たちは熱狂的なパフォーマンスで応える。花を銜え、あるいは銃口に花を挿しながら激しく踊る者、自らが腰掛けている椅子を恍惚としてクレッシェンドを付けつつ連打する者…これが現在のフラメンコ舞踊及びカホンのルーツであることをここに記しておく。奇妙なことに、日本では未だほとんど知られていない事実であるから。
 花まつりに恋焦がれた文化人(今でこそ!)の一人に、ウイリアムバロウズが挙げられる。『甘茶を求めて』などのエッセイには、その並々ならぬご執心ぶりが垣間見られ何とも微笑ましい限りであるが、より客観的な描写と解説を求める向きには、岡倉点心_THE BOOK OF THE TEA_がある。ただし、ここでの“飲茶のminister”即ち点心は少しばかり底意地が悪いようだ。


 「レシピの半分は記し、半分は隠しておこう。茶は万人のために」


 おかげで以降、茶の種類は爆発的に増えることとなり、茶道の流派も、互いに話が通じないまでに枝分かれしてしまった。

 おお、最早これまでか…と思われたその刹那、天国生まれの地獄育ち、鳥居みゆき女史から根源的な問いかけがなされる。

 「アメリカンドッグって日本のことですか?」

 望ましきユニバーサルとは何か? リージョナルがグローバリズムに食い尽くされる前に、我々は考え、実践しなければならない。

 「俺、わび茶って謝りに行くとき持ってくものかと思ってました」
などとぬかす学生がいたとしても、驚くにはあたらない2009年である。