_Initiation_関係

 12時過ぎてしまったけど、子供の日スペシャルということで、通過*1儀礼)とか参入(儀式)とか、英語はよく分からないのだが_Initiation*2_について。  
 Initiationとは? 正しくは何を意味するのか? 厳密に真面目に学びたい人はこんな駄文最初から見ない方がいいでしょう。と、取り敢えずお断りしましたよ。



 参入というのは平たく言えばどこかへ「入る」ことだから、同時にどこぞから「出る」ことでもあり、具体的にはイメージできない<全体>の中で、<自分>と<森羅万象>の関係性再編*3を伴う。よって、多少大げさな物言いを許してもらえるなら、「同じものが違って見える」ようでなければ厳密に成功したとは言い難い。また、Self Initiationとは、「同じモノを違ったモノとして見よう」という意志の貫徹を意味するのだと、仮にそういうことにしましょう。
 そんなInitiationが持つ絶対的な意味は時代を超えて変わるべくもないのだが、相対的な意味合いは既にかつてと同じではないし、今後も同じではあり得ないと思う。この「意味合いの変容」はパラダイムの転換によるものか、変容そのものをパラダイム転換と呼ぶのか、という話は置いといて、断言できるのは、コスモロジーは後から整備されるということ*4。で、新たなコスモロジーを産み出す土壌*5、100匹目だか101匹目のサルを産み出してしまう日常レベルにおける客観の変化とは? 敢えて言えば〜陳腐な結論で恐縮だが〜情報環境の変化ということか。



 「お前もそのうち(大人になったら)分かると思うが…」
というフレーズが説教の枕として機能しなくなっています*6。という話。





「よい子のみなさんに」とか言ってた



悪趣味な解釈:参入とは脱地獄である*7






風呂上りですが、戸川純ファンブログの趣旨に鑑みて貼っておきます。
あんまし子ども向けとは言えない純ちゃん3発!


カッコイイなあ。着てるのはもちろんヴィヴィアン・ウエストウッド


演劇的猟奇歌の極めつけ。これを聴いて以来「コワイ」と「セクシィ」の違いがよく分からなくなってしまった


これまた激しいキャラ設定。「コワイ」と「コミカル」の二重性は鳥居みゆきの先駆とも言える



で、さらに純ちゃん


朝っぱらから…やっぱりテレビ苦手だったのか、これもチョットとちってる



これ知らんかった。ムッチャいい。♪She is the Femme Fatale〜思わずコーラスつけてしまった
あって良かったYoutube(映像は関係ないけど)



で、やっぱりロックってこーゆーことだろうと思うのです

*1:通過と言うからには、次の参入が想定されてないことには意味的におかしな話になってしまう。極端な話、人生の8割以上を余生扱いしないといけないような事態だって有り得ることになる。あるいは10歳までに1億総活仏化とか…それはそれでスゲーな…

*2:何でこんなこと書いているのだろう…と思う訳ですが。今日はJ.Daniel Gunther_Initiation in the Aeon of the Child_を読みかけのタイミングで迎えた子どもの日だったこと、こないだBangi氏のブログhttp://23youbi.seesaa.net/article/118478766.htmlでInitiationが話題になっていたこと、その他ナイショの個人的事情による。のだろう。多分。何らかのWorkの一環みたいな

*3:あるいは様々なコンタクトポイントの設定こそがイベントとしてのInitiationの良し悪しを左右する、とも言えそう。フラットに明る過ぎ全てが等価で陰影が見えない、ディテールがトンでしまって何が何やら分からない、何でもアリだからこそ何をどうしたものか…といった蛍光灯イルミネイティッドな状況下において、より高い効果が得られるようなセッティングがあると自分は信じる

*4:ブラック・メタルの血塗られた歴史』を読むと、同じ人物がその時々のインタビューで微妙に言うことを変えている。シーンに影響力を持つ、あるいは持ちたい人物がそのへん大いに意識しつつの発言なので、半ば意図的な歴史の書き換えだと言える面もあるだろうが、自分には彼らが病的な虚言癖の持ち主であるとも思えない。そんな訳で、読み取れたのは、例えば、彼らが衝動的あるいは計画的に教会を燃やすに至った動機が、後になってから本人たちによって新たに見出され解読されているということ。つまり、その行動の裏に〜キリスト教から見た〜異教の神話的世界観があった、あるいは異教徒の血がそうさせた…などとするロジックは、やっぱりどう考えても後付け臭い。でしょ? …だとすると…話は飛ぶけど、埋蔵経ってスゴイな…以下、完全に私見ですが、例えば、ペンタグラムの先っぽが逆さを向いてしまいましたという事実と、ペンタグラムを180度回転させるに至ったコスモロジーとは、厳密に言うと同時発生ではないかも知れない。にも拘らず、ペンタグラムの向きを変えるに至ったコスモロジーはあるということ。しかもそれは学ぶこともできれば、新たなコスモロジーを産み出すための土台にしてはいけないという法もない筈だ。てか、既に天動説も地動説も、誰が何処から見ているかという、視点なり関係性の問題でしかない訳で

*5:Aeon of Isis→同Osiris→同Horus…なんて言い出すと多少説明が必要になるが、「一神教から無神論を経て我々~一神教なんか信仰したためしがない我々も含めて、ね〜は何処へ向かおうとしているのか」、あるいは「既に」どういう段階にいるのか

*6:<大人だけがアクセスできる情報>と<子どもにもアクセス可能な情報>、二つの世界にれっきとした境界がなくなりゾーニング的制御不能状態となった今、「無料コンテンツの世界から有料コンテンツの世界へ」という、朝日新聞社からエロ動画販売業者までが同様に採用するマーケティングデザインをはじめゲーテッド・コミュニティ的対応があちこちで局所的に行われているのは事実だが、そんな暫定的かつ些末な手法の問題が次のパラダイムの在りようを示唆するとも思えない。や、ごめん、そんなのはどうでもいい話。アクセス規制を行っている主体としての社会権力みたいなものを想定し、その物語を自らのモチベーションにするのも今更無理な相談だ。そんなことより、<文化>とか<宗教>とか<何とか>とかの意味が、一斉にまとめて根本的に変わってしまうぞ! という、人類が直面している<種としてのInitiation>の予感(とRigionalな伝統文化の問題をパラレルで)をどうするか? 今更Magickとか言うのなら、避けては通れない課題であることを再確認。なんて結論も何もあったもんじゃない。読んでくれた人、何か申し訳なかったですね。ごめんなさい

*7:悪趣味と知りながら意図的に演出されている場合、オカルト・宗教・ゆるくスピリチュアル関連に興味のある向きは要注意だ。そんなのはロクなもんじゃないと断言できるから。しかし、手法としては、たとえそこが地獄じゃなく反対にとても居心地のいい世界だったとしても、たとえば銀シャリを蛆に見立てることだって可能。聞くところによると一部の先達はそうして来たらしいじゃないですか