大阪・堀江界隈の寂れ方

 またまた個人的な日常雑感の話から入る訳だが、去年はたぶん感じなかったであろう今年の感じというのは確実にある訳で*1。たまたま想起されたその一つについて記す。
 撮影立会いの折など、デザイナーものの中途半端にカッコいい椅子*2などが置いてある部屋。という設定。これがどうにもいたたまれない感覚を惹き起こし、止めましょうよソレ的なことになる。去年ならきっとオッケーオッケーだった。カッコ良過ぎて照れくさいといった話ではなく、その正反対。恥ずかしいというか、馬鹿っぽいというか、死んでくださいというか。
 ここ暫くの<カッコイイ*3>が、急速にカッコ悪いことになってしまったこの一年。奇しくも、そのへんの今や大変微妙 *4なことになっているトレンドの発信地であった堀江界隈の寂れ方が加速している*5

 笑い袋もほしいところ。

*1:しかしながら自分は昨年の12月19日に、こんなことを書いている → いまどき、故無きpositivenessを発露している輩の祝宴が致命的なweaknessに立脚している仕組みを見る時、或いはそれが江戸時代のええじゃないかに重なって見える時、修行者は無言で全てのascension businessに背を向けるだろう。Bahlasti! Ompehda!

*2:具体的に名前を出すと誤解される恐れなどもあって非常に面倒くさいんだがたとえばヤコブセンとか。デザイナーなり椅子そのものが駄目なのではなく、今そーゆーものを張り切って選んでしまう価値観が微妙

*3:もちろん、我々一人ひとりの本当の価値観や美意識とは、ほとんど何も関係ないことだ

*4:大人として、控えめに言っておく

*5:ホリエ、もう本当に終わってます。堀江の店を畳んで難波に…的な話は多い。アパレル〜インテリア業界においては、たとえ儲からずとも「堀江」という地域に対して特別の思い入れを持つ店主や社長が多かったようだが、もはや営業努力も限界、背に腹は変えられない。というケースが、控えめに言っても大幅に増えているということ。余談だが、ここから発信されるオーガニックなんて客観的に見て矛盾そのもの。正反対の事象の結合は、魔術的あるいはセレマ的生成過程を経て新しい流れを生むか?