具体と抽象〜5月22日、岡山の光クリニックでフローティングタンク初体験
http://hikariclin.exblog.jp/8904365/
具体なんて書くと、現代美術史に詳しい人が勘違いしてしまうじゃないか。と、今気づいたが特に訂正はしない。
「おいしいローフードの店があるんですけどご一緒しませんか?」
てなことを言われたのでついて行くと何のことはない、普通の鮨屋であった*1。しかも、「ちょっと忘れ物を…」などと、初めての店でいきなり一人にされてしまう。で、ビールを飲みながら、その人物がカウンターに置きっぱなしで出て行った『ブルータス』30周年記念号などをパラパラとめくる訳です。『カウンターカルチャー*2失効の30年』という秀逸な見開き記事があり、そうそう要するにそーゆーことやんねと納得。
狭義の<サブカル>がアニメ&特撮を指すようになって久しいが、果たして、サブカルチャーの中のカウンターカルチャー(性)はどこへ行ったのか? なくなったのではなく、拡散した。あるいは露骨には見えなくなったのだということ。
「壁に向かって怒鳴る」行為がロックとして成立していた時代は、確かに遠くなった。そして、それにしても、その後にしばしば見られた標的としての壁の代替品探しは不毛だったし、カッコ悪かったね。というふうなことを、我々は歴史的視点から総括できるところまで来たという訳。それでもカウンターカルチャー(性)に何らかのこだわりがあったりするのは、まあ趣味の問題というかほっといてちょーだいという話だが、少なくとも<壁>を<壊す>という土木工事的なイメージが、最早ほとんど役に立たないことは確か。ドクター苫米地言うところの抽象度を上げて標的を捉え直すことが必要だ。あるいは<壁>について瞑想すること*3。
いろんなことが「ネットで事足りる」ようになると同時に、「ネットじゃ無理」なことも明確になってきた。フローティングタンク(アイソレーションタンク)とはどういうものかをざっと知るには3分もあれば充分だが、体験を求めるのであれば、実際にその中に入ってみるしかない。<カラダ>とか<相手>とかが介在する<現場>でしか手に入らないもの。たとえば、焼軍鶏は雑誌等で見ているぶんにはどうってことないが、実際食べると相当美味しい。ん? どうも説明するほど馬鹿っぽくなるのでこのへんで止めておくが、ともかく自分はタンク・イン。素晴らしい体験*4であった。
タイトルは「抽象度と臨場感」にすりゃ良かったです。
(24日追記)
HIKARI CLINICで検索しないと他の医院がヒットしてしまう。
また、フローティングタンクを置いているのは、正確に言うとHIKARI CLINICと併設のフローティングタンクサロンCOCOONである*5。