聖別能力と恐怖心について

 ・・・このカテゴリ名、どーしたもんだろう。自分なんかが思いつきでテキトーなことを書いて、それがO.T.O.の公式の見解であるらしいなどと解釈されたらどうしよう。あるいは、あまりのくだらなさに、未来の大魔術師がそれまで希望していた入団を断念するようなことがあってもマズイ。最後に「文責C.S.」とでも入れてみるか。…何の解決にもなっとらんな。



 <それさえできれば必ずやMAGICKは作動する>

 言い切りましたね? 言い切りましたよ。でもそれは、魔術が作動する前提条件の一つをクリアしたに過ぎない。で、その「に過ぎない」ことの続きを。

 前回、平たく言えば、自分にとって大切なものを本当に大切にできるかということだと、これまた言い切ってしまった訳ですが、ここでいう大切なものとは「家族が大切」「ペットが大切」「お金が大切」「地位が大切」「名誉が大切」etc.といった、生活信条的プライオリティの問題とはもちろん関係ない。言わば、自分にとって<大切にしたい不可侵の領域>のこと。
 じゃ、魔術師が手に持って使う四大武器などを<聖別>するとはどういうことか? 何、不可侵の領域に片足踏み入れるのが魔術じゃないですか! などと無茶苦茶言ってみる訳ですが、問題は踏み入れる際のatitudeあるいは礼儀作法といったところにあると理解されたい。
 人智の及ばざる領域へ踏み込む際、セレマ的*1には、最上級のリスペクトをもって、物怖じすることなく堂々と踏み込むのが良いとされる*2
 これの→http://www.thelema101.com/stele向かって右側の人みたいな感じで。
 「我々にとって<祈り>とは、恐怖に耐え切れず何者かにすがりつくような類のものではない」というのも、要するに同じ一つの態度を指す説明のバリエーションである。大まかには。畏怖の念と恐怖の情動は、決して「=」で結ばれるべきではない*3
 今も昔も、恐怖心を克服あるいは制御することは、魔術師にとって否すべての人間にとって大仕事*4だが、恐怖心が無ければ動き出せないようでは、チョット厳しいんでないの。という21世紀MAGICK*5を夢想中。

 話が大き過ぎてイメージしにくい*6かもしれないので、再度四大武器あるいはタロットカードぐらいの、ちょうどいい具合に分かりやすいスケールの対象を想起されたし。本に書いてある文字列をゴニョゴニョと読み上げる前にやるべきことは、大雑把に言えばそういうことだろうと思う。

 

*1:OTOのMAGICKとは、いわゆるThelemic Magick。日本語でセレマ主義魔術などと言われるが、自分は好まない。<意志>を意味するギリシャ語_Thelema_に“主義”はそぐわない気がするからだ。敢えて日本語にするなら単純に<セレマ魔術>ぐらいでひとつ

*2:ヤヴァイと思ったら踏み込まない。むしろさっさと逃げる。そのあたりについては、常識的で賢明な判断あるいはちゃっかりした割り切りが大切だ

*3:実は、上記のように妙な屁理屈をこねくり回す必要など微塵もなく、<ケ>ではなく<ハレ>の祝祭空間を持つことができるか? という所に問題を集約してしまった方が、日本人的にはサクッと分かっていいんじゃないっすかという話だ

*4:そう言えば、_Great Work_って、もったいぶらずに普通に訳せば「大仕事」になるんだろうか

*5:わざわざ妙な言葉を捏造せずともNEW AEON MAGICKで良いじゃないか。と言われれば返す言葉もございません

*6:まあ、わざとそうした訳ですが