フリーメーソンあるいはフラタニティネットワークの伝統について(再)

 間違って消してしまった駄文をもう一度書き直すのはハッキリ言ってダルいが、カテゴリがカテゴリだけに、書く書く詐欺と呼ばれてしまうのも上手くないと考え要約してサイエントロジーじゃなくて再エントリー。
 OTOとフリーメーソン、C.S.的には関係アリアリなのだが、このあたり誤解を招くといけないので、まずは、Ordo Templi Orientisすなわち東洋のテンプル騎士団、または東の聖堂の修道会、ポピュラーな訳語で言えば東方聖堂騎士団フリーメーソンリー(フリーメイスンリー)*1は、今も昔も、直接には一切関係がないということを、予めお断りしておく次第である。



 さて、公式にも述べられている通り、OTOは、『非正統メーソンリーの流れを汲む団体』であるとともに、Do what thou wilt shall be the whole of the law〜汝の意志することを行え それぞ法の全てとなろう〜の言葉で端的に表わされる『「セレマの法」を受け入れた、最初の旧アイオンの団体』である。要するに、



1) OTOは、クロウリーの『法の書』が未だ影も形もなかった時代から、非正統メーソンリー系団体として存在した



2) 20世紀最大の魔術師と称されるアレイスター・クロウリーは、団が保有する非正統メーソンリー系諸儀礼を『法の書』に基づいて再編成、OTOをセレマ化した。




ということだが、そもそも何でそんなことが可能だったか? なぜそれがOTOでなければならなかったか? クロウリーが団の実権を握っていたからに決まってるじゃないですか。などと言ってしまったのでは、いきなり話が終わってしまうという事情もありつつ、自分は、「セレマの法」が芽吹く為に必要な苗床として、自由を求める兄弟*2たちの友愛ネットワークが果たした役割を重視する。そしてそれこそが、自分の理解するところ、重要な<メーソン系の伝統>にほかならないのである。



 「知の再発見」双書61*3でも紹介されている伝説では、フリーメーソンリーの起源は、紀元前10世紀、「ソロモンの神殿」が建設された時代にまで遡るらしいが、より現実的な仮説として、『メーソンの前身は16世紀以来急速に発展した、各地を渡り歩く職人を職種別にまとめた同職組合(「フランス巡歴職人団−コンパニョン・ド・トゥール・ド・フランス−」が有名)であるという』と紹介されている。同時に『しかしながらこの二つの団体の間にはいくつか共通の象徴シンボル(ママ)があるとはいえ、直接の関係は一切ない』とも。 フリーメーソン、すなわち、フリー=自由なメーソン=石工とは何か? 西洋世界で言う「石工」は、日本のいわゆる石屋さんという概念とは違い、広く、建築〜土木関係の専門技術者を指す。そして、初期フリーメーソンリーの「フリー」とは「フリーランス」の意であった可能性が高い。などともっともらしく語ったところで、再び前掲書から引用。
 『17世紀になると、イギリスロッジに決定的な変化が訪れる。新しいメンバーとして、職人でなくても新しい精神世界と思想討論の場を求める人々を受け入れるようになったのである』。
 これこそが、現代のように法律によって知的財産権が守られていない時代(まあ、スパイのテクノロジー自体原始的なもんだったろうと推測される訳ですが)に確立された秘密のネットワーキング・テクノロジー、あるいは、自分たちが保持する象徴体系をひたすら大切に守り伝えていくという、ずっと繰り返されて来た行為に、それまでと全く異なる意味が生まれた瞬間。すなわち、3大エポックの第1番目である。と考える訳です。



 そして自分は、単に閉塞していく為の内緒の仕組みには一切興味がない。





本日の同時再生推奨

*1:メーソン(メイスン)は団のメンバーを意味し、組織を指す場合にはメーソンリー(メイスンリー)の呼称が用いられる

*2:ここで「姉妹」の二文字を外すことは、差別ではなく、OTO前史を語る上で妥当なで措置だと考えている

*3:フォンテーヌ著/村上訳/吉村監修『「知の再発見」双書61・フリーメーソン創元社,1996年