地動説的ポジショニング〜霊性的ユニバーサルデザインの起源


 筆者が考えるMagickとInvisible Organizationの歴史における3大エポックその2は、クロウリーによるHeliocentricなRitualの創始である。
 この、人類の霊性生活上における意識革命への道を開いた一大事件は、20世紀初頭に起こった。
 Heliocentric/地動説的なRitual/儀式とは、術者のいる魔法円の中央を太陽の位置と見做して行われる儀式のことで、術者の立ち位置が当たり前に地球だったそれまでの常識的ポジショニングからすると、まさにコペルニクス的転換と言えた*1
 まあ、とにかくそんな訳で、以下、この事件が極東の島国に暮らす我々にも決して無関係ではないことを示す意味で、民俗学方面で夙にお馴染み、折口信夫によって提唱されたらしい<マレビト>の概念など借用しつつ。



 <マレビト>とは<客人-マロウド->であり、<マレ>は<珍しい><滅多にない>ということ。他所からやって来たレアな客人が、それまでになかったいと良きモノをもたらし、しばしば神にさえなる。単純にはそういう話である。
 実生活における我々のポジションが<地球>であった時代すなわち<マレビトを迎える側に>ほぼ固定されていた時代においては、<おもてなし>の心と作法を大切にしてさえいれば全てはまるく収まったと考えられる。それらのテクノロジーを磨き上げた者は、それなりに尊敬を集めたであろうし、一部は文化人として歴史上に名を残した*2
 これが、しばしば<太陽>すなわち<マレビトとして迎えられる側>に立つことになれば、当然事情が変わり、<およばれ*3>に際しての心がけ*4や作法*5の重要性が増すことになる*6
 人々は、<マレビト>として知らない土地を訪れ、自覚のあるなしに関わらず、何らかのインパクトをもたらす。それが良いことか悪いことかは分からない。ことによると、その土地の伝統を破壊する方向で、致命的な影響をもたらすことになるかも知れない。それでも、たまたま自分が生まれ育った土地における特定の一集落、というミニマムな地域共同体の中だけで一生を終えることは、最早できない相談である。そして、良くも悪くも、極限の場合は<神>となる*7
 そんな訳で、ヘリオセントリックな儀式デザインが西洋魔術史における一大革命だったことは間違いないが、同時にそれは、先に動いた生活環境への遅ればせながらの適応だったとも言える。イメージが先かリアリティ*8が先かという、トートロジーを内在した永遠の命題に突入することは控えるが、ともかく、それが霊性ユニバーサルデザインの起源である。



 これをどう受け継ぎ展開していくか、突きつけられた課題にどう答えていくか、実践的な作法を日本的にどう発展させていくか。
 まずは原点に帰ってJUNREI*9、すなわち身近な聖地を訪問することから始めたい、と自分は思う*10



Happy Equinox!



(本日の同時再生推奨)


*1:ここでは、19世紀にG∴D∴/黄金の夜明け団が集約した儀式群におけるそれとを比較。この、歴史的ポジションチェンジの結果、セレマ魔術では、神殿の各方位に対する四大元素黄道12宮の対応が、G∴D∴と異なり、周行や、場合によっては五芒星の上下も逆向きになった。四方位と四大元素の照応については、StarRubyと伝統的LBRPを比較すれば一目瞭然。前者がEAST=EARTH,NORTH=AIR,WEST=WATER,SOUTH=FIREなのに対して、後者はEAST=AIR,NORTH=EARTH,WEST=WATER,SOUTH=FIREであった

*2:などと行きがかり上書いてしまったおもてなし系テクノロジーは、現在も料亭のサービス、数奇屋建築の美学などに残っている。ファミレスや居酒屋、キャバクラなんかになるとかなり怪しい。まあ、まだしもそのあたりの業態については、それなりに洗練され定着するに至っている訳ですが。特定の企業や店舗を攻撃する意図はないとお断わりしつつ10月3日追記。アキバにオープンした「女の子が握る鮨屋」〜シェーカー振れないバーテンダーのいるガールズバーに文句言わなかった層が、こっちに対しては、話を聞いただけにも関わらず凄い勢いで怒っている。ジャパニーズ(飲食店の)カウンターカルチャーなし崩しの実態に今頃あせり始めたという訳か〜や「占術師のいるメイド喫茶」あるいはその逆といった類は、どうなんだろう? 個人的には、形骸化したおもてなし系文化の残滓を、最も安易なカタチでフーゾク風味に展開しているに過ぎないと思えるのだが…。そんなことよりも筆者が注目したいのは、たとえば茶道などにおいて、実はおもてなし一辺倒ではなく、絶え間ないポジションチェンジへの眼差しあるいはスムースに意識を切り替えるための実践的ノウハウが育まれていたということである。自分は、それらの総体をごく大雑把にZen Cultureと呼んでいる

*3:それは、術者が自らのMagickを行う上で欠かせない<場>と<主体性>についての認識を必然的に要求する。そこには最早「輸入文化としての魔術を受け入れる」という発想自体、入り込む余地はない。良くも悪くも閉塞し、特殊な趣味のカテゴリとして、海洋と言葉の壁によって、特にガラパゴス化するでもなく細々と守られてきた「日本西洋魔術シーン」の発展的解消をイメージされたい

*4:セレマがもたらしたパラダイムシフトは、Magickを核とする霊性文化における古典的なモラリティの問題を、否応なくクローズアップすることとなった。何かを求める代わりに支払うべき<対価>あるいは<代償>についてである。いわゆる経済価値が、尺度として役に立たない領域のことと理解されたい。でなければ、「あなたが初詣の際に祈願した家内安全の対価は10円ですか?」などといった頓珍漢な話に摩り替わってしまいかねない。また、40万円で請け負う願望達成魔術は悪徳にほかならないが2万円でやってあげる自分は良心的である、といった無邪気な俺様倫理基準もこのあたりの理解の欠落を示す例だろう。そんな人たちには、Magick以前に、まずは現実世界でさまざまな<およばれ>を経験してほしい。なかなかその機会に恵まれないという人は、自分が気付いてない“だけ”の<およばれ>体験を見つけ自覚するというエクササイズを。それも無理なら取り敢えずJUNREIから

*5:このあたりを最も正しく合理的に伝承していると思われる国際組織は、筆者の考えでは、魔術関連の結社ではなくボーイスカウトである

*6:その意味でも今後、おもてなし系とは一線を画するNew Aeon文化人が、大量に輩出される必要がある。そのための霊性的アーキテクチュアをデザインし、普遍的かつ可変的な流れとして構築していくこと。21世紀の魔術結社に求められている仕事は、そのあたりなのではないか

*7:現在、自分が抱いているNew Aeon的Great Workのイメージは、大雑把に言うとそんな感じです

*8:物理的世界のリアリティだけがリアリティではない。さらに、アルトサックス奏者の坂田明氏によると、勝負とは勝ち負けではない

*9:ポイントは、到着したらまずその土地に受け入れてもらえるようお願いし、受け入れてもらったことを感謝しながら遊び−すなわち<およばれ>し−、お礼の祈りを捧げて帰ること

*10:一般に〜と言っても、特殊な世界内での一般論な訳ですが〜黄金の夜明けやセレマないしそこから続く流れは<儀式魔術>と呼ばれ、自然との関係性を重視する<ペイガニズム>や<ウィッカ>などの流れと区別されることが多い。しかしながら、ペイガンやウィッカの人たちだって儀式を行っている訳だから、この呼称はヘンである。より正確には、ペイガンやウィッカがアウトドア派であるのに対して、インドア派ぐらいの意味で<密室魔術>とでも呼ぶべきだろう。ということで、改めて<密室魔術>の流れを考えてみると、どうもこれ、諸事情あって結果的に密室で発達いたしましたという程度の話であって、条件さえ整えば、必ずしも密室で行われなければならないというものでもなさそうだ。などとテキトーなことを言いつつ、この現状は、儀式魔術の流れの中から起こった地動説的パラダイムシフトを体感レベルで我がものとし、日々実践していく上で、必ずしもプラスになるものとは思えない。そんな、その筋の人たちにとって目新しくも何ともないネタを改めて掘り返すのは、「外へ出てみましょうよ」という、密室派魔術師諸姉諸兄に対する、一へなちょこセレマイトからのささやかな呼びかけのつもりでもある