Plactice 4 Now and Future

1)緊急に必要なものと、本当に大切なものをリストアップし、それぞれに優先順位をつける*1

2)どーゆー基準で、どこまで? トゥーマッチなものとの付き合い方について、思うところを述べてみる*2

3)敢えて「自己責任」を禁句とする*3

4)新しい部族社会におけるユニバーサルデザインを描く*4



単に、貧乏臭くショボクレていくのではなく、ホントにいい感じに変わることができますように。





RVR 震災とお花見の自粛:
http://video.jp.msn.com/watch/video/rvr-%E9%9C%87%E7%81%BD%E3%81%A8%E3%81%8A%E8%8A%B1%E8%A6%8B%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%B2%9B-hd/5355as8c

*1:実際に書き出してみることを推奨。サバイバルと幸福のために。「ほしいものがほしいわ」というかつての西武百貨店のコピーも推奨。クリスタルは水晶。小水はションベン。実際の話、自分にとってMAGICKとは何かということ。中途半端でうやむやにせず、必ず優先順位をつけるところまでやりたい。なぜなら、優先順位をつけられないでいる状態とは、相互に異なるベクトルを持つ自らの欲求群によって、ただただ静かに引き裂かれているヤラレちゃんでしかないのだから。まず、この状態から抜け出さないことには、全ての実践は永久に始まりようがない

*2:思えば、我々はトゥーマッチなものに囲まれ、トゥーマッチに利用し、トゥーマッチに過ごして来た。言わずもがなではあるが、ブラックボックスとトゥーマッチはカブるところも多いが、別の概念ね。何でもかんでも無闇に自粛しましょうということではなく、様々なリスクも視野に入れながらトゥーマッチを利用するということは、トゥーマッチに支配されるということでもある。ここを考えたい。自分は、しょーもないちょっとしたPCトラブルすら自分で解決できない人間である。そのへん、うまくやっている知人は多いが、そんな彼らだってハードの故障になるとすっかりお手上げで、メーカー修理に頼るしかない。まあ、いくら激しくPCが壊れたところで、放射能ダダ漏れ状態にはならないんだが。「3」とカブるところだが、小さな一個人で取れる責任なんぞ、たかが知れたものだ。「自己責任で」などとカッコつけるのはやめよう。個人どころか、地域共同体やその延長である国家でさえ負うことのできないリスクをどうするのか。そーゆーリスクに関わる意思決定をどうするのか? ということ

*3:それでも「自己責任」という言葉を口にしてしまったなら、その都度二の腕を聖カミソリで切りつけると良い。「自己責任」という言葉は何とゆーか、多くの場合広告や取り説なんかでおなじみの免責文言みたいなもんで、単に「俺たちのせいじゃないもんね」と言っているに過ぎず、潔くやれば全て「責任を負いかねます」に収斂可能だ。例:「ゲーティア?どうぞどうぞ! ただし、結果については一切責任を負いかねます」。このへん誤魔化さないようにしたい、と立場上もあり肝に銘じる次第である。また、この機会にセレマイト=リバタリアンという解釈が誤解であることも明言しておきたい。で、ここから先が本当に言いたいこと。昨今の状況は、ある種西洋儀式魔術的とゆーか、原因を自分の外に求める態度、「社会が悪い!」的な言い種が非常にかっこ悪いことになっている。ベルリンの壁もそれに代わる代替品も既になく、ロック兄ちゃん的反抗はもの笑いの対象と成り果て、今や単純に反社会的な態度とは社会的禁治産者…は言い過ぎにしても、少なくとも典型的には社会的弱者のロジックであるからだ。反対に、東洋神秘主義的というか、原因を自分の裡に求める態度、即ち、場合によってはあまりにも簡単に「自己責任」を認める自虐的な態度がカッコイイ…は言い過ぎにしても「大人」であったり「立派」な態度として評価される。あるいはそのような倫理観が意味もなく支配的と見受けられる。残念なことではあるが、「サブカル」に元気がなくなり〜という言い方は厳密には間違いである。実際には、裏や地下から同一空間上の別レイヤーへと移行し、見えやすく/見えにくくなっただけの話〜狭義にはアニメ特撮を指す言葉になって以降、この状況は加速度的に進んだ。断言するが、これは極めて不健全な状況である。それこそがカッコ悪い! そこがバカ! と見抜き感じることができるか? ということ

*4:単純に「元に戻す」ことが目的なのか、「変える」ことが目的なのか。最低限、このあたりに関して常に意識的であり明晰であり続けること。「変わらない」ことを前提にした未来予測を、あまり相手にしないこと。そんなものを真に受けて一喜一憂しないこと。たとえば、「夏場の電力がいくら足りなくなる」といった予測は、震災前の電力需給〜つまりその状況を生み出す社会のしくみとか社会を構成する人々の生活スタイルとか…を前提としている限り全く意味がないし、そのような数字を根拠にした政策は、やる前から失策に決まっている