スーダラ節再降臨

 人間の業をコミカルに歌った1962年のヒット曲。何れも甲乙つけ難いが、強いて言うなら個人的にはマイケル・ジャクソンバージョンが最も好みか。ここでは、ベーシックなところでアルコオル、ギャンブル、セックスの3テーマが取り上げられているが、21世紀に至り、更にシリアスで洒落にならない<原発>が、新たに広くスーダラ認定されることとなった。
 最早、個人の問題で済まない*1ところまで、人類は<進化>を遂げたと言えるのかも知れない。





これはオマケ。最近アップされたようだ
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復活後のゲルニカによる「蘇州夜曲」



大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラの演奏が凄過ぎる



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*1:とは言え、自分を除外して特定の利権構造を批判することが、抜本的解決につながるとも思えない。ところで、ある意味、厄介な利権構造の原因とも言うべき、企業(その他)間のアライアンスが、他にもたらしたものは何か? 敢えてポジティブな側面を取り上げるとすれば、これはもう<関係性への新しい視座>に尽きる訳で…。と、ここでレトロアクティブにスロウダウン。たとえば、「モノは作れるが、販売ルートを持っていない」企業が商社と組む。この段階では、未だ<関係性への新しい視座>が芽生えることもない。次の段階、即ち「現時点で、自社単独では売りたいモノさえ作れないが、もしB社と組むことができれば…」といった思惑が実行に移された場合はどうか? この場合も、「A社はB社およびC社と組んで、D・E・F社連合を迎え撃つ」といったアニメチックな構図の輪郭線をことさらに浮かび上がらせたぐらいなんではないか。がしかし、企業にとっての「開発コストを抑えられる」上に「時間を短縮できるので市場参入の好機を逃さずに済む」というメリットは、<アライアンス>の流れに拍車をかけ、自ずと競合/依存が同時に入り組んだ重層的関係性を明らかにし、出来合いの敵/味方モデルでは、現状の説明すらつかないことになってきた。てかまあ、関係性ってもともとそーゆーことなんですけどね。このあたりは国と国、個人と個人の関係においても同様。ここに至って、<関係性への新しい視座>は、ようやく一種のコモンセンスとして定着する気配を見せている。たとえば、原発利権システムの中にガッチリ組み込まれ、オール電化を推進してきた家電メーカーが、一方で太陽光発電に力を入れていたり。てか、オール電化のキラープロダクツたらがほかならぬ太陽光発電システムだったりするし、しかも誰もがそれを知っている。とか。で、果たして、今、我々に求められているのは、複雑な関係性の糸を独りで一つひとつ解きほぐしていくような地味かつ遠大な作業か? 自分はそうは思わない。そうですね、まずは「いいね」「いらね」の意志表示をしてみる。とか。しかしアレです。ポジティブな発言をするのがシンドイ状況下で、敢えてネガティブな発言はしたくないと思うのであれば、本当はブログなんか書かんでいいんじゃないか