蟹光線(BLACK FLAG再読)

 雨が降っている。濁流の中をワニが泳いでいる。濁流の底にあるアスファルトの路面よりかろうじて一段高い歩道の上では、浴衣姿のキャバ嬢が、一列に並んだ初老のかまってちゃんを、一人ずつ段取りよく流れに突き落としている。突き落とされるかまってちゃんたちは、タクシーを待っているつもりらしい。突き落とす彼女は艶やかな緋色を纏って、浴衣姿で祭りに出かけて行く女の子たちを遠目に見送りつつ、浴衣祭りで居残り。差している透明のビニール傘が、いかにもテキトーな印象を与える。
 ライムの代わりにすだちを突っ込んだコロナビールを飲みながらフラフープを回していると、窓からそんな光景を眺めているかのような、強烈な既視感を伴う白昼夢を見た。もしかすると自分は、この時の為にわざわざスペイン語のマジカルモットーを考えついたのではないだろうか。否、それどころか、今となっては、とても自分が考えたものとは思えなかった。
 雨の匂いの中、しょんぼりと肩を落とした青年が、傘も差さずにこちらへ近づいて来る。ワニのいる流れに落としてしまったのである。今しがた肩よりも傘よりも執着する対象を失ったばかりの彼には、そんな小さなことに構っている余裕はない。青年ご執心の相手が、祭りで浴衣だったか、浴衣祭りだったかは定かでない。甘ったるい香水と緋色が、花火の拡がりにオーバーラップする。彼は、祭りには行かない。それでも自分は××大の院卒だし、実家は何代も続くちょっとした地主の家系であり、このことに何一つ変わりはないのだ。青年は、そう思い直し少しだけ心に落ち着きを取り戻すことに成功する。もし成功しなかった場合は、メンタルのメタドン療法を必要としただろう。
 雨が降っている。雨粒に混じって蟹も一緒に降っている。ワニは蟹を食べない。代わりに人間が食べる。ワニに食べられることのない蟹は、濁流の中で繁殖し続ける。で、おまえの自信の根拠って、結局何だったのよ? 自分で想像した香水の甘ったるい香りにむせながら、自分はコロナの瓶の中に、アンゴスチュラビターを一滴落とす。腐ったヨードチンキのような味がしてたまらなく不味かったので、窓から放り投げた。口直しと言っちゃ何だが、一時間後には仲間と蟹鍋をつついているはずだ*1






 
当たり前だが、危険とエッジはぜんぜん別なものだ。危なけりゃいいって、そんな馬鹿な話はない。と、USTREAMにて、先日東京で行われた魔女のお勉強会? WICCPOTなるイベントを見ていて改めて思った。
 http://www.ustream.tv/recorded/1488353
 「エッジが効いてるね」という言い回しは、今後ますます、ぜんざいに微量加えられた塩加減の妙や、出汁の効いたうどんつゆを称えるがごときニュアンスを帯びていくだろう。
 ちなみに、こちらで式次第も入手可。
 http://ramipas.illumine.jp/2011/05/22/wiccpot式次第/
 特に最後の3行、無茶苦茶カッコ良し。

 自分は何でか、昨年、岡山のHIKARI CLINICと併設のフローティングタンクサロンCOCOONにて、初めてタンク・インした時の体験を思い出していた。恥ずかしながら、正直なところ、直前まで<構えて>いた。
 結局いらんのよ。そんなもんはみんな。
 
 何でか、自分の中的にラテンアメリカ文学のリアリティが高まっている。
この夏は、必然的にコロナビールをアホほど飲むことになるだろう



 人はパンのみにて生きるにあらず。
・・・・・・・・・・パンの耳でも生きられる。イオ・パン!

 おい、そこのお前、吹っ切れた?

Under the Black Flag: Exploits of the Most Notorious Pirates (Dover Maritime)

Under the Black Flag: Exploits of the Most Notorious Pirates (Dover Maritime)

C.S.的世界最重要海賊本。ただし、抽象化されたテーマを取り扱っているやつ除く


シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト

シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト

この、バロウズ流海賊小説のイントロに引用されているのが上の本というわけだす

*1:【蛇足】これから日本が経済的に沈んで行くことは間違いないが、自分はこのことを特に残念とは思わない。人はパンのみにて生きるにあらず。パンの耳でも生きられる。のだから。イオ・パン! とは言え、いろんな意味でスルーされるケースが増える過程で、残念ながらメンタルのコンディションを崩す人たちが増えるという状況は避け難いだろう。最低限の誇りと自信を保つ為には、何にでもつかまれば良いと思う。但し、暫定で。取り敢えず元気と落ち着きを取り戻したら、遅かれ早かれ、それらの根拠が、いかにくだらないものだったかを見ることになるだろう。抱え込み閉じるのではなく、手放し開くこと。真剣に闘っている他人を笑うのは良くないことかも知れないが、滑稽な場面は際限なく繰り広げられるだろう。今、君がすがりつこうとしている対象は、ほかならぬ君自身が、昨日まであんなに馬鹿にしていた当の物ですよ。みたいな。経済が駄目なら文化へ、今が駄目なら伝統へ…。人々の関心事がそんなふうにシフトしつつあるが、うさん臭い動きには要注意。新しい価値観の創造、パラダイムの転換、人類の進化の兆し…それらと、単なる退行現象を混同しないこと。異質なものとの出会いによってもたらされる覚醒には、しばしばネガティブな感情が伴うが、それらをきちんと対象化すること。こんなくだらない学校、もうヤメてやる! そう言いつつ、クラスメイトに無理やり引っ張って行かれた修学旅行先で他校生といざこざを起こすに及んで突然愛校心に目覚め「○○校ナメてんのか!」か何か叫んでしまう中高生。成人した後、これと同じ次元の行いを繰り返すのは、あまりに恥ずかしいじゃないっすか。ともかくこうして、日本人は、ひょんなことからエゴの問題に直面することになった訳だが、果たして自分は、絶対頑張ろうとは思わない。むしろ、自らの変容を邪魔することのないよう、どんどん力を抜いていこうと思う。誤解しないでほしい。このような状況下で、「あなたは今のままでいいんです。人間はそのままで完璧なのだから」などと発言する者が普通に張り倒されても仕方ない…は言い過ぎにしても、普通に笑われても仕方ないよねという認識は、一種のコモンセンスとして形成されるだろう。変わらないことが良いことであり、安心のもとだったのは、過去の話だ。<取り戻す>ことと<捨てる>こと。反対のベクトルを持つエネルギーを同時に発動してしまうが故に、悪しき力の均衡の犠牲となってその場から一歩も動けない、もっと悪くするとそのまま二つに引き裂かれてしまう…といった、一途に頑張る人が得てしてハマリがちなトラップからも逃れたい。ハッピーであるにこしたことはないが、意味不明の多幸感は邪魔だ。○○プトを買うぐらいならGIジョーを買う。という訳で着地点が見えなくなったので終わります。ほらね、多幸感ってやっぱり邪魔でしょ。おやすみなさい!