フィルタリングの解除

 有名な大洪水神話の一つに、ギルガメシュ叙事詩中のウトナピシュティムの物語がある。不死を熱望し神性を獲得しようとする、すなわち神になろうとするギルガメッシュに対し、ウトナピシュティムは<眠らないこと>という単純で厳しい課題を突きつける。某ソロールの魔術的解釈によれば、これは、瞼を切り落とし<神の目を獲得せよ>ということであり、<ホルスの目>に瞼がない事実とも符号する *1
 ところで、今まで見えなかったものが素通しで見えてくる状態に、並みの人間は耐えられるのか? だからこそ、禅やヴィパッサナーといったブッディズム系メディテーションの意義が再認識されつつある流れは必然であると言えるだろう。
 リミッターあるいはフィルタリングの解除は、別レイヤーというか、日常的な濃い階層でも起こっている。たとえば、ガラケーからスマホへという流れ。これによって人々のアタマはパンクしてしまったか? もちろん、そんな訳はない。311後、国内のメディアがてんであてにならないと気付いた人々が、<別レイヤー>の海外メディアにシフトするなど、Magick界隈と相似形の動きがあったことは記憶に新しい。と言うより、事態は更にあからさまに進行中である*2。また、Twitterで何千というアカウントをフォローする人は、タイムライン上に表示される呟きのすべてを一字一句追ったりしない。みんな<よろしく>やっているということ。

*1:Sky Goddess Nu Lodgeの公開スタディグループにおいてSor.O.I.L.は、このことをゲマトリアを駆使しながら手際よく証明して見せてくれた

*2:そんな中、われわれのいわゆるリアリティは、自らが固執する良識によって容易にフィルタリングされてしまうことが明らかとなる。強力にフィルタリングされたリアリティと相互依存関係にある<良識>は、得てして妄想上の仮想敵に対する唐突な攻撃性をも誘発するようだ