リアルパイレーツ・オブ・カリビアン

ちょっと不正確なこと書いてしまったけど、モルガン船長は最初から国家公務員(みたいな奴)だった訳じゃない。正しくは「国家公務員みたいな貴族に成り上がったバッカニア」とい言うべきだろう。バッカニアとは、クラシックな海賊の1カテゴリに属する人たちで、17世紀前半頃からカリブ海で活動した一群の自由貿易者のこと。彼らは、少なくともその活動初期においては略奪・人殺しはやらなかったようだ。
そのバッカニアの流れを汲む海賊的サクセスストーリーの体現者であるヘンリー・モルガン船長が、必ずしも後に続く海賊たちにとっての便利なロールモデルたり得なかった*1のは、昨日書いたように単に時代の客観のせい。

ロールモデルとしては、幾多の冒険譚と海賊的ダンディズムの規範を残しつつ、絵に描いたようなアーリーリタイアを決めたピエール船長(大ピエール)がいた。彼こそ、初期カリブ海賊界を代表するカリスマ船長である。

時は17世紀。28人の乗組員を乗せたボートでカリブ海をうろつきまわるバッカニア集団。彼らの根城は、エスパニョラ諸島の西北に位置する岩だらけの小島「トゥルトゥーガ島」。岩だらけであることは、スペイン圧制者たちの労働意欲を殺いでくれるのに充分だったはずだ。
ピエール船長一世一代の大仕事は、エスパニョラ島西岸ティブロン岬沖で、スペイン副提督のガレオン船団からはぐれた1隻を追跡・奇襲し、見事乗っ取りに成功したことである。彼らのボートは小さなものだったがブラックパール号さながらに速く、彼ら自身の迅速な行動は「4挺の銃は1門の大砲に勝る」ことを証明して見せるに充分だった。
だがしかし、ピエール船長物語の神話化を決定付けたのは、その後の行動だったと思われる。
バッカニア史上初の偉業を成し遂げた彼らは、なぜかトゥルトゥーガ島には凱旋しなかった。酒場、売春宿、○△×…快楽、愛着、全ての欲望を制御しピエール船長が目指したのは、故郷フランスのディエップだった(そー言や映画パイレーツ・オブ・カリビアンの主演男優がジョニー・“デップ”になると知ったときの軽い驚き、思い出すね)。
ディエップに帰ったピエール船長は、ガレオン船とその積荷からの収益で悠々と引退。めでたく神話化完了。そんな訳で、彼に続けとばかりバッカニアになろうとする者は後を絶ちませんでしたという話。

*1:酒の名前にまでなっているキャプテン・モルガンにフォロワーが存在しなかったはずがないだろう。しかり、またまた正確さを欠く記述であることは自覚しているが、筆者は海賊史におけるヘンリー・モルガンをフリージャズ史におけるサニー・マレイのような存在、すなわち“一時的に強い影響力を発揮した人”として捉えている。重視したいのは“海賊”というくくりをとっぱらった場合の、21世紀における重要度だ(ラム酒としての重要度ではない)。もちろん、それを計る尺度は筆者の中にある。従って、経営者、コーチ、その他諸々の人たちが、それぞれの立場から筆者には想像すらできなかったヒントを引き出していたとしても何ら驚くには及ばない