このニアリーイーコールぶりに注目してほしい
某市内某レンタル会議室。非公開イベント「パンティグーグルEX(仮称)α版発表会」。マイクは見当たらず、簡易PAは作動していない。ホワイトボードの前に折りたたみ式のテーブルとパイプ椅子。会場内のすべてのテーブルと椅子は、これと同じもの。テーブルの上に置かれた水差しの口に、よく磨かれたグラスが被せてある。来場者のテーブルには、今、女子大生然としたスタッフの手によって人数分のオレンジジュースが配られつつある。総計二十人ともう少し。空席はない。会場内のあちこちに吊られたモニター画面の中で、リア・ディゾンが笑っている。音は出ていない。誰かの鼻をすする音と咳払い以外に聞こえるのは、グラスに液体が流れ込むときのサーッという音、テーブルにグラスが置かれる際のコトンという音など微かな音ばかり。
サーブされたドリンクに手を伸ばそうとした瞬間、“小デブ”くんの肩越しにニュッと腕が伸びてグラスを掴む。キャプテン・セレマ、2杯のオレンジジュースを立て続けに一気飲み。何するんだよ酷いじゃないか/騒ぐんじゃない、みんなの迷惑だろう。俺は10代の頃トゥルトゥーガでゴムゴムの実を食べたんだ。…無言で交わされたのはたぶんそんな会話。
一斉に拍手が起こり、もさもさした感じの中肉中背中年の男が寝癖を気にしながらグレーのスーツ姿で入場。えー冷房ユルくないですかと言いながらホワイトボードの前に着席。尖った顎はイメージどおり、眼鏡を掛けてないのが少し違うとキャプテン・セレマは思う。
モニター画面のリア・ディゾンが、ドクター・ニアリーこと近田氏のバストショットに切り替わる。彼が“パンティ先生”でないことを、キャプテン・セレマは軽く、少なくともオレンジジュース2杯分程度には不満に思っている。
「皆様、本日はパンティグーグル・エクスパンダーの発表会にようこそお越しくださいました。最初にお断りしておかないといけないんですが…諸般の事情ありまして、このようにノーマイクの非公開イベントとして開催する運びとなってしまいました。映像の方は、それぞれ最寄のモニターで、何とか不自由なくご覧いただけるかと思います。問題はボクの声の方ですね、何言ってるのか聞き取れなかった場合は、どうぞご遠慮なく手を挙げて進行をストップしてください。大きな声では申し上げにくいことも含めまして(初めて笑。少し場がなごむ)、可能な限りご希望にお応えしていきたいと思います」
モニター画面の映像が切り替わりエレベータの中、不自然にタイトな制服のOLがこちらに背を向けて立っている。尻の上にポインタが現れる。
「それでは、範囲を指定して…スキャニング…」
画面が2つに割れ、右側にOLの輪郭線が現れる。スカートが消え、下着が消え、控えめな拍手が起こる。
「これをエクスパンダーで処理すると…」
リアルな3D画像に再び拍手が起こる。
「ちょっと待った。感心するのは本物と比べてからにしてください」
早くも、聴衆の心を掴んだ模様。左側の画面が早送りされ、さっきのOLが同じ角度でこちらに背を向け、裸で立っているシーンで止まる。控えめなため息交じりの歓声そして拍手。
「ほら、ほとんど同じ。この“ほとんど”の水準をどこまで上げていけるかが勝負ということは皆さんご承知のとおりな訳ですが、私としましてはですね…」
背中を向けた裸の女がせわしなく動きだし、シャワーを浴びはじめたところで消える。再び、右側の画像と同じポーズ、同じアングルで現れる。尻を剥き出しにした女の、実写の映像とCGが並ぶ。
「このニアリー・イコールぶりに注目してほしい」
再び、今度は控えめではない拍手。その音にかき消されてしまう程度の小声でハイと言いながら挙手する者があり、CGの方が少しぽっちゃりしてないかと疑問を投げる。同意のどよめき。待ってたよと言わんばかりにほくそ笑むドクター。
「ニアリー・イーコールとは、イーコールには成り得ないということ。つまり、その差を埋めるのは解像度じゃない。(ひと呼吸)私たち一人ひとりのうちには、それぞれの未来が内包されている。従って、我々のスキャンデータにも、当然我々の未来情報が含まれていることになる」
潜伏しているスパイを探すような目つきで会場内を見渡すドクター・ニアリー。
「今日、ついに皆さんの前で、この理論の正当性を初めて証明できる喜びを、どう表現すればいいのか…この気持ちわかります?」
ナチュラルに涙ぐむ様子から、彼の言葉が単なるハッタリでないことが見て取れる。
「従来のすべての映像は、すべての建築がそうであるように、映像化された瞬間、既に古くなっていました。…それじゃともかく、すいません…お願いします」
ホワイトボードの後ろ(控え室があるのだろう)から、ジュースをサーブしていた女性スタッフが現れる。
「華々しいデビューのはずが、いきなり非公開イベントになっちゃって…ホント彼女には何とお詫びしていいか…」
ワンピースがあまりに地味だったため二人とも気づかなかったが、近田氏の後ろに立っておじぎしている彼女は、モニター画面の中で下半身を露出している本人で。話の流れからすればそれが初出演ということ。…改めて紹介を受け、一人ひとりの来場者に微笑みかけ、頭を下げ、また誰にともなく手を振る。どうぞ応援してあげてください。予想外のウェットな展開に、キャプテン・セレマはアストラル(想像上の、ぐらいの意味?)リモコンで早送りのしぐさ。何でか自分も目をうるませている小デブくん。
「デビュー作の撮影スケジュールはなかなかにハードなものだったと聞いています。1週間の撮影中に…7キロだっけ? 痩せちゃったんだよね」
ひとしきりあいさつを終えた悲劇のヒロインがこちらに背を向け素早く事務的に着衣を取ると、お約束どおり、実写の映像より少しだけまる味を帯びた下半身が露わになる。