フィルタリングの解除
有名な大洪水神話の一つに、ギルガメシュ叙事詩中のウトナピシュティムの物語がある。不死を熱望し神性を獲得しようとする、すなわち神になろうとするギルガメッシュに対し、ウトナピシュティムは<眠らないこと>という単純で厳しい課題を突きつける。某ソロールの魔術的解釈によれば、これは、瞼を切り落とし<神の目を獲得せよ>ということであり、<ホルスの目>に瞼がない事実とも符号する *1。
ところで、今まで見えなかったものが素通しで見えてくる状態に、並みの人間は耐えられるのか? だからこそ、禅やヴィパッサナーといったブッディズム系メディテーションの意義が再認識されつつある流れは必然であると言えるだろう。
リミッターあるいはフィルタリングの解除は、別レイヤーというか、日常的な濃い階層でも起こっている。たとえば、ガラケーからスマホへという流れ。これによって人々のアタマはパンクしてしまったか? もちろん、そんな訳はない。311後、国内のメディアがてんであてにならないと気付いた人々が、<別レイヤー>の海外メディアにシフトするなど、Magick界隈と相似形の動きがあったことは記憶に新しい。と言うより、事態は更にあからさまに進行中である*2。また、Twitterで何千というアカウントをフォローする人は、タイムライン上に表示される呟きのすべてを一字一句追ったりしない。みんな<よろしく>やっているということ。
聖守護天使
だからMagickか。と納得するのはしばしお待ちを。大真面目で天使などを召喚する西洋儀式魔術の場合も、少なくとも19世紀後半になると、唯脳論あるいは唯心論的な捉え方が主流となる。19世紀を代表する魔術結社であるG∴D∴*1、少なくともその<外陣>と呼ばれるソサエティが良い例で、要するに心理学のボキャブラリーで魔術を説明するのが当時の流行だったらしいのだが、やはり俗流解釈的薄っぺらさは拭えない。何にせよ、自分だけの<聖守護天使>とのコンタクトを究極の目標として掲げながら、<聖守護天使=高次の自己(ハイアーセルフ)>という解釈には、正直のところ筆者も、何だかがっかりさせられたものだ。その点、ロドニー・オルフェイスの*2の<HGA*3=自分以外の全て>は、自分の中のMagickへ向かうモチベーションを再び高めてくれるものであった。
現在進行形のWestern Magickのコアな部分においては、「高次の自己」というHGA観は過去のものであり、術者の外側の存在/Entityであると認識されている*4。
*1:黄金の夜明け団。メンバーの多くは、当時大流行の「降霊術」を小馬鹿にしていたか、関わっていることを恥ずかしく思い隠していたようだ。そう言えば自分が高校生の頃、クラスメイトの兄に、ディスコに足しげく通いつつ家ではKISSばっかり聴いているというナンギなのがいて、またデトロイトロックシティっすか?よお飽きませんねとからかったところ「オマエ喋ったらコロスからな」と真顔で言われたことがある
*2: Abrahadabra: Understanding Aleister Crowley's Thelemic Magick
*4:少なくともThelemaの潮流においては。また、HGAの話からは多少逸れるが、天使から授かったと言われるエノク語を用いた「エノキアン・マジック」の場合も、スマートに洗練され、自らの良識との間に葛藤を生み出す怖れが少ないと思われるG∴D∴/黄金の夜明け団スタイルよりも、よりルーツに近いスタイルの探求に向かう実践が主流である
脳の内と外
この時自分が感じた<外側>とは、家の窓の外とも、駅のホームの白線の外側とも違う、<無限の外側>のようなもの。もちろん、通常の意識状態でそんなものを観じるなどできない相談で。そもそも、人間にとって<無限>など何の実感も伴わない抽象概念でしかない。ところで、その<外側>は脳の中にあるのだろうか?
ジョン・C・リリーなら、きっとYesと答えるんだろう。なぜか自分は、そう思い込んでいた。そこへ上記の遠迫発言。自分は興奮すると同時に、すべての唯脳論的言説に対する失望を改めて自覚した。心、意識、不思議なこと、素敵なこと、すべては自分の脳の中にある…。そんな考え間違いに決まっている。否、正しいとしても面白くない!
フローティング・タンク初体験
2010年(だったと思う)。初対面の遠迫さんは、過剰な期待にワクワクしながらやって来た新参者の下心をハナからお見通し。先生の説明を聞きながらクールダウンした自分は、とても良い状態でタンク・インすることができた。タンク内でいきなりある種の瞑想技法を試すといったはしたない所業におよぶこともなく、エルゴノミックに洗練されたデザインのかっこ良さに感心したり、死海リゾートってこんな感じなんかなあとあらぬことを考えたりしながら暫くの間チャプチャプ遊んでいたのだが・・・気がつくと深いリラクゼーション状態に入っており、上下四方の壁が消失したような意識の拡張感。通常の空間認識はない。というより必要ない。方位感覚は不思議と残っている。これでいいのだ。すべての拘束を免れ、脱力し、浮遊し、堂々と静止している。自分は今、あらゆる<外側>の声がクリアに聞こえる状態にあると確信。
僕たちのユリーカ!
楽しみにしていた13日のDOMMUNE*1、残念ながら最後の方ちょこっとしか聞けなかったのだが、そのちょこっと間に、Hikari Clinic院長の遠迫さんがさらっとふれた「ジョン・C・リリーが晩年に到達していたらしい認識」の話にハッとする。脳は受信機であって・・・/脳の外側で起こっていると・・・。聞いた瞬間、頭の中で時計のねじが溶ける音がして、いろんなことが一気に繋がった。
精神科医の遠迫さんは、クリニック内に併設されたフローティング・タンクサロンCOCOON*2のオーナーでもある。そして、イルカとのコミュニケーションや変性意識の研究で知られるジョン・C・リリー博士こそ、件のタンク*3の発明者*4なのである。フローティング・タンク/瞑想/聖守護天使/儀式と空間認識/<目>の獲得とフィルターあるいはリミッターの解除/物質と光/トポロジー/トーラス/時間の円環。で、これらはどこで起こったお話ですか?
*1:
*2:http://hikariclinic.jp/cocoon/
*3:当初はアイソレーション・タンク、すなわち感覚遮断タンクと呼ばれることが多かったようだ
*4:ケン・ラッセル監督の映画『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』は、彼のタンクを使った研究を題材にしている
Sky Goddess Nu Lodge, OTO次回スタディグループ
下記の通り開催いたします。
◇日時:4月29日(日) 16:30-18:30
◇会場 : 御堂筋線「心斎橋」より徒歩約5分
◇プレゼンター&テーマ: C.S.「密儀の系譜」
古代の密儀〜メイソン系諸儀礼〜セレマの潮流。遊星的郷愁の源流を求め、物質の将来を夢見、宇宙密儀の誕生を予感し、時間の外へ。参入儀礼コレクションはなぜ可能だったのか? なぜハイエロファントの台詞は長いか? なぜニューエイジャーは原生動物時代の記憶を語らないのか?
◇参加費:無料
※ 1ドリンク+1フードをご注文ください(ケーキセット可)。
※参加される方は、27日までにtwitterのDMにて @FraterCS宛お知らせください。